能登半島
June 29, 2008
石川さゆりと能登半島
70年代初めのホリプロ3人娘というのは山口百恵、森昌子ともう一人はだれでしょう? 答えは、石川さゆりです。
最初はこの3人を3人娘として売り出したのだが、石川がヒットに恵まれなかったのでいつの間にやら桜田純子と入れ替わり、スタ誕3人娘と呼ばれたそうだ。 これは石川さゆり自身がコンサートで言ったことだから本当なのだろう。
石川さゆりは14歳のときに「かくれんぼ」というシングルでデビュー。山口・森と同期・同年齢だった。でもヒットに恵まれなかった。5年目、15枚目のシングルとしてヒットしたのが「津軽海峡冬景色」。こちらは知らない人はいない程に演歌のスタンダードと化した。1977年日本レコード大賞「歌唱賞」を受賞し、NHKの紅白歌合戦にも初出場。この歌を作詞した故・阿久悠さんは大喜びで、石川に言ったそうだ。「次は故郷に錦を飾れる歌を作ってあげるからな!」と。それでもらった歌詞のタイトルが、「能登半島」。石川さゆり言は「これは違う」と心で思いながらも、何も言えずに一生懸命練習しての連続ヒット。彼女いわく、私の故郷を石川県と間違えたのではないか、とさ。 彼女の故郷、熊本県の歌は翌年の「火の国へ」まで待つこととなった。
現在石川さゆりは、「石川さゆり物語」と題して、自身の歴史を物語として語りながらヒット曲を年代順に歌うスタイルでコンサート活動中!「かくれんぼ」など初期の不遇時代のシングル曲もメドレーで聞けます。もちろん、最新ヒットの「肥後の盆唄」も聞けます。
石川さゆり@アマゾン