福田村事件

September 02, 2023

朝鮮人なら○してもいいのか?

この記事のタイトルは、僕が心を動かされた映画のセリフである。◯ には (殺)という漢字が入る。最近は ツイッター(現エックス) やティックトック、フェースブックなどでこの字がよく隠される。それもどうかと思うが、その流れに乗せてタイトル表示からは隠した。本文中で改めて書く。

朝鮮人なら殺してもいいのか?

その映画とは、9月1日に関東大震災100周年の日に全国の映画館で公開された、ドキュメンタリー映画を残した森達也が初の劇映画として監督した、「福田村事件」である。6月に同タイトルの書籍発売と併せて記事でご紹介した。



この記事でこの映画を見に行くと宣言したので、さっそく今日、某イオンシネマに行って見てきた。

(この記事には少しだけネタバレがあるので、気になる方はここでお引き取りを)

fukudamura aeon


上掲タイトルのセリフは映画の中で福田村事件で虐殺される香川から来た行商人の一団が朝鮮人だと疑われ、そこで地元民で結成されていた自警団との激しい口論の中で行商人のリーダーが叫んだ言葉である。

香川の薬売りの行商人は香川の地元では被差別部落出身で、自分たちと朝鮮人とどっちが上なのか議論した。永山瑛太扮するリーダー、沼部新助は差別されて生きる自分たちが同じように差別されている当時の朝鮮人を差別する部下たちに心を痛め、朝鮮人に対して同情の気持ちを持っていた。

映画の前半の部分でそのようなシーンが登場する。 行商人が歩いていると道端で朝鮮のアメを売る少女と子供たちが立っていて朝鮮訛りの日本語でアメを買ってくれという。それを見て、一行の中の一人が「朝鮮人が売ってるアメなんか何が入っているか分からない」と言う。それを聞いた新助は、自分たちが薬を売るときに同じように言われたことを思い出し、アメをたくさん買うことにし、さっきの言葉を言った者を批判する。

行商人の一人がたくさん買ったから値引きをお願いするが、少女は親方に叱られるからと断る。しかし、後から追いかけ、朝鮮の扇子を1つオマケとしてリーダーにあげた。

なぜかこの暖かいシーンで感動し、涙が湧いてきたのだ。差別される者同士の心のふれあいのようなものを感じた。 この扇子が後の虐殺のきっかけになるとはつゆ知らず。

これ以上は内容については触れないが、この後も涙が湧くシーンがいくつもあった。

この映画には始終、朝鮮人、鮮人(蔑称)、さらには不逞鮮人 といった言葉が使われる。その言葉を聞く度に僕の心は揺さぶられる。

出演者についてはひとつも興味なかったのだが、田中麗奈 が主演格で、あの水道橋博士も出演していて重要で面白い役をこなしていたのは良かった。

関東大震災100周年を迎えて、今もなお、朝鮮人虐殺はなかった、それこそデマだという言説をSNSで度々目にすることが残念だ。 さらには虐殺された犠牲者の追悼集会にあいさつ文を送らない東京都知事にも呆れるばかりだ。 

しかし、この映画が全国で上映され、僕が見た劇場は小さめの劇場だったが、ほぼ満席だったことが、日本人の大多数はこの問題を真摯に捉え、記憶に残そうとしているのだと確信を持てた。ただ、観客の年齢層が高く、若者が少なかったことは気になった。 明るい未来のためにも多くの若者に見てほしい映画である。



paul83 at 23:05|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

September 01, 2023

関東大震災と朝鮮人虐殺


本日 関東大震災100周年を迎え、SNSで見つけたある日本人の方の投稿を取り急ぎご紹介する。

9.1は日本国が100年前の自らが仕掛け行った関東朝鮮人中国人虐殺についてその事実を認め国家責任を取るべき日だ。
しかし、今年もその事実さえ不知を通している。
NHKTVでは「福田村事件」を取り上げてデマで動く群集心理の怖さを無くすにはどうすべきか、のような報じ方をしていた。

しかし、ことの本質は当時、9月1日、間違いなく官憲が「朝鮮人が暴動」のデマを直接流し、または町内のフレ(府令)が流されたとの証言がいくつもある。自警団が組織され朝鮮人への迫害、殺戮が始まった。戒厳軍も東京市内への出動要請を受けた。2日朝には戒厳令が布かれ朝鮮人を敵とし軍事行動を起こした。3日朝には内務省警保局長・後藤文夫名で「朝鮮人が暴動」の内容を伝える無線電報が海軍船橋無線電信所から発信された。それは瞬時に全国の無線電信所で受信され各地方長官(知事)宛に伝えられた。関釜連絡船は3日の夕便より朝鮮人の上陸を厳禁とした。

それでも東京を脱出し5日釜山に着いた二人の学生、韓昇寅(明治大学)、李周盛(東洋大学)は6日ソウルに到着した。7日の『東亜日報』は「九死に一生を得て東京を脱出した二学生―生地獄の実況を目撃した最新の消息」の記事を報じた。しかし、この事実を本国にもたらしたこの二人は、流言飛語をなし朝鮮人を扇動したという口実で、その日(6日)のうちに警察に検束され監禁されてしまった。しかし、関東一円での朝鮮人虐殺の噂は口から口へと流れて行った。朝鮮総督府警務局長丸山鶴吉は「だんだんと実情が伝われば伝わるほど、人心はいやが上にも険悪となり、何んとなしに事が起こりそうな感じがして7日から10日間ばかりは役所に詰めきり、官舎にも帰らなかった」と述べ、8日から朝鮮人の日本渡航は全面的に禁止された。(金賛汀『関釜連絡船〜海峡を渡った朝鮮人』より)

こうして植民地朝鮮に対して徹底して虐殺の情報を隠蔽した。
また内地においても遺体、遺骨を隠滅し証拠となるものを徹底して隠ぺい、隠滅してきた。

しかし、あまりにもこの虐殺の規模が大きくその証拠と証言が残されている。証言は西崎雅夫氏の労作『関東大震災<東京地区1100の証言>朝鮮人虐殺の記録』にふんだんにある。
その中で9月1日の夕方に官憲がデマを流したという証言を二つ紹介したい。
一つは伴敏子(画家、当時15歳、北品川で被災)の証言、もう一つは友納友次郎(国語教育学者、勤務先の向島の小学校で被災〜友納武人元千葉県知事の父)の証言である。ぜひ知っていただきたい。

日清戦争以来、朝鮮を侵略、殺戮していき、日露戦争で武力を背景に財政権、外交権を奪い保護国とし、そして軍隊を解散させ、日韓併合へと進み、その領土を奪い、その生産物を収奪し、抑圧差別をしていった。それへの命がけの抵抗運動が続き、激しい弾圧を加えて行ったその歴史のあげく、関東大震災時に、朝鮮人の復讐を恐れ、時の内閣の支配層が、大震災で混乱する帝都を守るため(天皇を守るため)、無辜なる朝鮮人を犠牲にして、日本人避難民の皇居に乱入を阻止しようとしたと考えられる。

日本は今も国連のジェノサイド条約に加盟も加入もしていない。それに入るとこの問題が追及されることをおそれるのであろう。

6000名を超えると言われる朝鮮人犠牲者、750名を超える中国人犠牲者のことを抜きに9月1日を語ることは出来ない。
今もなお、不知を決め込む日本はその反省が無いのか。
過去の過ちに対する反省のない国は過ちを繰り返す。
それは正に今、福島の放射能汚染水を海に流すという行為にも表れている。
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paul83 at 16:48|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

June 24, 2023

福田村事件から100年5

fukuda village pair

今朝のNHKニュースによると、千葉県野田市が100年前にそこで起きた福田村事件の犠牲者に対して弔慰を表明した。



4年前に瀬戸内KSB放送で福田村事件が紹介されたことがある。この動画で概要は分かる。



関東大震災の数日後、四国の香川県からはるばる千葉まで品物を売りに来た行商人達が讃岐弁という聞き取りにくい方言を使っていたので、千葉の人々は彼らが朝鮮人だと思い込んだ。当時、政府は朝鮮人が震災後の混乱に乗じて暴力を振るったり、井戸に毒を撒いたりしているという流言飛語(デマ)を流していた。人々は自警団を組織し、朝鮮人狩りをして、大勢の朝鮮人を殺害したと言われる。

この事件は9人の日本人が朝鮮人と間違われて自警団に殺された事件であると同時に、当時朝鮮人狩りが横行していたという事実を裏付けることとなった。だから、公にせずに隠していたいことだったのだろう。

千葉の地元では闇に葬られていたが、犠牲者側の香川県の有志の人達によって真相究明が行われ、慰霊碑も作られた。

そして今回、100年目になって初めて当時の現地、現千葉県野田市がそのことを認め弔慰を示したのだ。

NHKのニュースが流れた今日は、辻野弥生 氏による福田村事件」という書籍の発売日だ。偶然だろうか。それとも何か意図があったのだろうか。


この書籍は2013年に一度刊行されたものの、すでに絶版になって久しいという。その後、復刊の話が持ち上がり、更には森達也 映画監督の初の劇映画として制作されることになった

最近 佐藤章 氏が YOUTUBE 動画でこの書籍を紹介してくれた。


上の動画のBGMは 中川五郎「1923年福田村の虐殺」である。2009年に発表された20分以上に及ぶ長編曲である。歌詞が表示されるので、興味ある人はこの動画で聞いてみて欲しい。この歌詞で事件の詳細がわかる。




森達也監督の映画、「福田村事件」にはスポンサーが集まらず、クラウド・ファンディングでの予算確保での製作となった。こちらは関東大震災100周年になる9月1日に公開される予定だ。

映画「福田村事件」予告編



それにしても今朝のニュースによると、弔慰を示したのは「野田市」という抽象的な存在なのだ。市長とも、市議会一同とも、市民とも、あるいは加害者の親族とも示されていない。 どうやら、いまだに誰も責任を感じていず、反省もしてないけど、今回ご紹介した書籍と映画で注目を浴びることになることを予見してこのように謝罪もせずに抽象的な「弔慰」で予防戦を張っておこうとしてのことなのだろう。

管理人は中川五郎が歌う「1923年福田村の虐殺」を聞いてこの事件について知ったのだが、とても衝撃的だった。 その後、管理人はこの歌を広げるためにできることをやってきたつもりだ。

事件100周年を迎える今年、書籍の復刊と映画が公開されるのは非常に画期的なことだ。書籍も読んで、映画も見て、より知識を深めたいと思っている。

paul83 at 13:57|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック