朝鮮学校
February 24, 2013
北海道新聞の記事 「朝鮮学校 理が通らぬ無償化外し」
昨日 以下のようなタイトルの記事が掲載された。
朝鮮学校 理が通らぬ無償化外し
これぞ正論だと思うので、全文を引用する。-----------------------------------------引用ここまで--------------------------------------




January 25, 2013
いわゆる「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対するパブリックコメント(転載)
いわゆる「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対するパブリックコメント
当表題のブログ管理人が転載を許可しているので、転載させていただきます。
(キーワード、自分が重要だと思うポイントは文字の色や太さを変えています。)
朝鮮学校のいわゆる「高校無償化」適用からの排除を決定づけようとする省令改正案について、いま文部科学省は「パブリックコメント」を募集しています。本来、このような少数者に対する差別政策については、世論がどのようなものであるかにかかわらず、おこなってはならないものです。政府が、こうして募集した「パブリックコメント」を世論の声としてみずからの差別政策に利用しようとしているのであるならば、そのことに反対を述べるべきだと私は考えました。
少数者への差別は「多数意見」によってもけっして正当化できません。差別は不当であって、不当なものは不当です。わたしはそう考えて、おおざっぱにまとめると「これは差別である。差別は不当である。だから差別を是正しなさい」という意見を書いて、送りました。
なお、この問題は「他の外国人学校は制度を適用されているのに、朝鮮学校が排除されているのは差別であり不当だ」というかたちでの問題化もできるのですが、あえてそれはしませんでした。わたしが主張したのは、朝鮮学校に対する公的支援について、いわゆる日本のフツーの学校*1とのあいだに差別をもうけていることが不当だということです。
パブリックコメントについては、つぎのリンク先に募集の詳細がしるされています。募集のしめきりは1月26日(土)です。
●パブリックコメント:意見募集中案件詳細|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ
以下、わたし(やねごんさん)が送ったパブリックコメントです。ただし、このブログで公開したものは、実際に送った原文にはなかった小見出しと いくつかリンクをおぎないました。
一、はじめに
公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関しまして、意見を述べます。
本省令案は、現在審査中として凍結されている、朝鮮学校生徒への就学支援金の支給について、これを支給対象から排除することを意図しているのはあきらかであり、以下に述べる理由で不当なものです。本省令案を撤回し、ただちに朝鮮学校生徒への支給凍結を解除すべきだと考えます。
二、少数民族の民族教育への公的支援は日本政府の義務
日本も批准している「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)は、第30条において以下のとおりさだめております。
種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。
「児童の権利に関する条約」を批准している以上、日本政府は、国内の少数民族に属する児童・生徒が自己の文化・宗教・言語を継承し、また発展させていく自由を保障しなければなりません。そして、少数民族に属する児童・生徒が、自己の文化・宗教・言語を自由に継承し、発展させていくためには、自己の文化・宗教・言語や歴史を学び、知る機会が不可欠です。
こうして少数民族に属する児童・生徒に民族教育を受ける権利を保障するためには、おおざっぱに言って以下1,2の方向での施策が考えられ、すくなくともいずれか一方の施策を十分におこなうことは欠かせません。
- 少数民族に属する者自身が運営する教育機関(民族学校)に、必要な財政的・社会的支援をおこない、また運営にあたってその独立性を担保すること。
- 日本の初等・中等教育機関において、少数民族に属する児童・生徒が自己の民族的な文化・言語等を学ぶ機会を保障すること。
この2つの観点からみて、日本の教育行政の現状はどう評価できるでしょうか。
まず、1について。日本において、少数民族の民族教育をおこなう学校は、学校教育法第一条に規定される学校(一条校)としての認可を受けられず、差別的な取り扱いを受けています。そして、一条校においては、その教育内容が多数民族である日本人の民族教育(「国語」と称した日本語教育、また日本の文化や歴史についての教育など)にいちじるしく偏重・偏向したものになっており、少数民族に属する児童・生徒が、自己の言語・文化・歴史等をまなぶ機会がきわめて制約されていることは、指摘するまでもありません。つまり、多数民族の民族教育をおこなう学校が一条校として日本政府に優遇され、他方、少数民族の民族教育をおこなう学校は、一条校としての認可から排除され、ごくごくひかえめに言っても「冷遇」されていると言わざるをえません。このような不公平・不平等が存在しているのが現状です。
2についても、一条校がいま述べたように、多数民族の民族教育に偏重・偏向したものになっている以上、そこで少数民族に属する児童・生徒が、みずからの文化等をまなぶ機会が保障されているとはとうてい言えない状況です。
したがって、日本の教育行政においては、1,2いずれについても、多数民族の民族教育を優遇する不公平かつ偏重・偏向した施策がとられており、児童の権利に関する条約第30条に違反していると言えます。
朝鮮学校など少数民族の民族学校生徒への就学支援金支給の可否を決定するにあたっては、以上に述べてきた不公平と偏重・偏向をただし、少数民族に属する生徒の侵害されている権利をいかに回復し保障していくかという観点から検討されなければならないと考えます。
そう考えたときに、一条校の生徒には支給されている就学支援金が、朝鮮学校生徒にいまだ支給されず、その決定がずるずると先延ばしにされている現状自体が、朝鮮人に対する差別的取り扱いと言うべきですし、こうした差別的取り扱いを追認・決定づけようとするこのたびの改正省令案を容認することはできません。
三、朝鮮人の民族教育への弾圧・妨害の歴史
さて、以上、「児童の権利に関する条約」もふまえながら、朝鮮学校生徒を就学支援金の支給対象から排除することの差別性・不当性について述べてきました。
ただし、朝鮮人の民族教育に対する差別的取り扱いは、最近にはじまったものではありません。これに対する弾圧・妨害とすら言える差別的な取り扱いは、戦後の日本の教育行政が一貫してとりつづけてきたものであり、それは日本による朝鮮に対する植民地支配に起源をもつ、いわば植民地主義の継続と言うべきものです。
「児童の権利に関する条約」批准国政府として日本政府が取り組まなければならないことのひとつは、朝鮮人の民族教育に対して日本政府がおこなってきた弾圧と妨害を真摯に反省して謝罪し、公平な教育行政へ転換することです。その意味で、日本政府が朝鮮人の民族教育にどのような対応をとってきたのかという歴史をふりかえっておくことは重要です。
日本の敗戦後、日本による植民地支配から解放された朝鮮人たちは、日本各地に国語(母語)講習所とよばれる学びの場(500ヶ所をこえるといわれる)をつくってきました。日本の植民地支配によって、民族の言葉をうばわれ、また自分たちの文化や歴史をおとしめられてきた朝鮮人たちが、民族の言語・文化・歴史を取りもどそうと民族教育の場をつくるのは、しごく正当なことであります。
ところが、こうした正当というほかない朝鮮人たちのいとなみに対して、日本政府は弾圧をくわえてきました。
まず、日本政府は、1948年1月24日に「朝鮮人設立学校の取扱いについて」という文部省教育局長の通達(官学五号、学校教育局長より、文部省大阪出張所長、都道府県宛通達)を出します。
……朝鮮人の子弟であっても学齢に該当する者は、日本人同様市町村立又は私立の小学校又は中学校に就学させなければならない。又私立の小学校の設置は学校教育法の定めるところによって、都道府県監督庁(知事)の認可を受けなければならない。学齢児童又は学齢生徒の教育については各種学校の設置は認められない。
日本政府はこうして朝鮮人児童・生徒に日本の学校に通うことを強制し、またいったんは各種学校として認可した朝鮮人学校の認可を取り消しました。これに従い、日本政府は1948年3月から4月にかけて朝鮮人学校に対する閉鎖命令を各地であいついで出します。また、1949年10月13日には、在日朝鮮人聯盟(朝聯)への解散指定にともなって「朝鮮人学校に関する措置について」(文部省管理局長ほか通達、文官庶第六九号)を出し、朝聯系の93校に閉鎖命令、245校に改組命令を出します。
なお、現在、朝鮮学園が運営する、「各種学校」として認可された学校は、こうした不当な弾圧を受けながらも、朝鮮人自身の努力によって再建されたものです。
戦後、朝鮮人の民族教育に対して日本政府がとってきた政策にみられるのは、自己の言語・文化・歴史等を自由に継承し発展させていこうとする朝鮮人のいとなみを妨害し、多数民族である日本人への同化を進めていこうという方針です。すなわち、一方で、朝鮮人自身による自律的な教育の場をつぶすことを企図して弾圧をくわえ、他方で、朝鮮人児童・生徒を日本政府・文部省の支配下にある学校(一条校)に就学させ、その民族性を圧殺しようというものです。
こうした民族性の圧殺と同化主義の方針は、1965年の同じ日(12月28日)に、文部事務次官が各都道府県あてに出している2つの通達にも、はっきりと表現されております。「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位および待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定における教育関係事項の実施について」(文初財第四六四号)と「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」(文菅第二一〇号)です。
前者は、日韓協定にともない永住を許可された者およびそれ以外の朝鮮人について、希望する場合には、公立の小中学校への入学および高等学校の入学資格を認めるよう通達する一方で、「学校教育法第一条に規定する学校に在籍する永住を許可された者およびそれ以外の朝鮮人の教育については、日本人子弟と同様に取り扱うものとし、教育課程の編成・実施について特別の取り扱いをすべきでない」としております。つまり、これは、公立の学校において朝鮮人の民族教育をしてはならないとしたものです。
先にも述べたように、公立の学校の教育内容は多数民族である日本人の民族教育に多くの時間をさいているわけですから、この通達にみられるように少数民族の民族教育を禁じるということは、少数民族の児童・生徒に多数民族のための民族教育をおこない、多数民族への同化をすすめていくということを意味します。
さらに後者の通達では、私立の朝鮮人学校の取り扱いについて、つぎのような措置を通達しております。
(一) 朝鮮人学校については、学校教育法第一条に規定する学校の目的にかんがみ、これを学校教育法第一条の学校として認可すべきでないこと。
(二) 朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきでないこと。
一方では多数民族のための民族教育に財政的・社会的資源をつぎこみ、これを政府をあげて推進しておきながら、少数民族の民族学校に対しては地位上の差別をもうけ、公的支援から疎外する。これは、いちじるしく公平性を欠いた措置と言わざるをえません。
この通達はさらに、朝鮮人のみを収容する公立の小学校分校はその「存続について検討すること」、また朝鮮人のみを収容する公立の小中学校およびその分校または特別学級は「今後設置すべきではないこと」とし、朝鮮人の民族教育を公教育から排除するものとなっております。
このように、日本政府は、朝鮮人から自己の言語・文化・歴史等をまなぶ機会をうばい、日本人への同化を朝鮮人自身の意思にかかわらずせまるということを、教育行政においておこなってきました。こうした戦後の教育行政のありかたは、朝鮮人の言語をうばい、文化をおとしめた植民地支配期における皇民化政策がいまだ継続しているものと言えます。
四、差別主義・同化主義にもとづく教育行政からの転換を
今回の省令改正案も、一条校の生徒にはあたえられる就学支援金支給の措置から、朝鮮学校生徒を差別的に排除しようとするものであって、戦後の一貫した差別主義的・同化主義的な教育行政の歴史の延長上にあるものです。「児童の権利に関する条約」を批准した日本政府がおこなうべきなのは、このような差別主義・同化主義の歴史を踏襲し継続することではなく、少数民族の児童・生徒が自己のルーツについて継承し、発展させていく自由と機会を保障するものへと教育行政を転換させることです。
多数民族の民族教育に比重を置いた教育をおこなう一条校でまなぶ高校生には就学支援金を支給する一方で、朝鮮学校にまなぶ生徒ににこれを支給しないのは、差別です。多数民族の民族教育ばかりを公的に支援・奨励し、少数民族の民族教育を公的な支援から疎外するのは、筋がとおりません。
少数民族に属する生徒が、多数民族に属する生徒とすくなくとも同程度には、自己のルーツについてまなぶ機会を制度的に保障されることは、政府や多数者の恣意によって少数者にあたえられる「恩恵」などではありません。それは権利であって、日本政府がそれを保障することは義務です。このたびの省令改正案を撤回し、朝鮮学校生徒への就学支援金の支給を、凍結されている卒業生のぶんもふくめて即刻おこなうべきです。
March 18, 2010
朝鮮高校も無償化に含む―数多くの大学教授たちが支持!
・内閣総理大臣 鳩山由紀夫 ・文部科学大臣 川端達夫 ・内閣官房長官 平野博文
★内容〜100%納得です。
★賛同者一覧〜数の多さに圧倒されます。感動です!時間かかるので数えられません。
★メッセージダイジェスト〜これを読むと元気でます!とても心強いです。
やはり学のある人たちの考えることは違いますね。理路整然としています。
多くの方々に読んでもらいたくてご紹介しました。
「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の要請書
高校無償化に朝鮮高校を含めるべきか除外すべきか考えるときに読んでもらいたい 2
中国・大連でも日本人学校があり、そこで学ばれた方が「日韓百年市民ネット」のMLに次のように書いてありました。
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わたしは、敗戦後4年間、現在の中国東北部の都市大連ですごしましたが、あとのほぼ3年間は「大連日僑学校」という名の学校に通っていました。「日僑」という呼び名に違和を感じるひとがたぶんいるでしょうが、「僑」とは居留民のこと。
この学校は、当時、国民党系と共産党系のひとびとが協力しあって、「大日本帝国」の支配から脱しえたばかりの大連市を自治的に運営するために、ソ連占領軍当局の了解のもとに、創設した大連市政府から、日本人総引揚ののちも大連に「残留」して、その知識や技術を中国人に伝えてほしいと要請された技術者・研究者の子供たちの教育機関として、大連市政府から設立を許可されたものです。
日本人技術者研究者がなぜ残留を要請されたかについては、重要な歴史的要因がからんでいるのですが、ここでは省きます。
この学校の生徒は、したがって、日本人だけでした。教師も日本人。教育に用いられる言語は日本語でした。
その当時、わたしもふくめおおかたの生徒たちはそれを当然のことと思い、なにひとつふしぎには思って
いませんでした。
これが大連市政府の大英断であったのだとわたしが気づいたのは、わたし自身が、たしかまだ東知事の時代だったと思うのですが、東京都が朝鮮人学校を閉鎖しようとしたことに反対してたたかっていたときのことでした。
ひじょうに哀しいことですが、わたしたちのこの民族のなかには、いまだに、在日韓国朝鮮人が自分たちの子供を自分たちの民族の言語で教育することそれ自体を快く思わないひとたちがいます。
これにひきくらべ、あの「大日本帝国」が敗れてまもない時期に、つい先頃まで自分たち中国民族を軽蔑し抑圧してきた日本人たちに対して、その子弟を、自分たちが独自に自分の民族の言語で教育することを許した中国人たちの心のひろさ、大連市政府の(そしてまたソ連占領軍当局の)民族政策の正しさには、いまあらためて脱帽するほかありません。
ことはまぎれもなく単純なのです。
世界中のどの民族も、自分たちの子弟を、自分たちの手で、自分たちの民族の言語を用いて教育する権利をもっています。どのような理由があろうとも、この権利そのものを侵害することはゆるされません。朝鮮高校に対して、どのような意味においても、差別的とりあつかいをしてはならない。
これは、国交があるとかないとか、教育内容がどうとかいったこととはいっさいかかわりがない。
いつになったら、わたしたちのこの民族に属するひとびとは、こういったことが単純で議論の余地のないことであると気がつくのでしょうか?
彦坂 諦
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March 17, 2010
高校無償化に朝鮮高校を含めるべきか除外すべきか考えるときに読んでもらいたい その1
日本国民の中には朝鮮学校を快く思わない人々が増えてきているようで、それがこの事態を引き起こしたと思う。色々と書きたいことはあるが、何はともあれ以下の文を読んでほしい。これはMIXIで知り合った方のブログに紹介されていたもの。ある新聞のコラムみたいだ。
1948年、日本では政府が朝鮮学校を閉鎖するための弾圧をかけ、在日同胞が朝鮮学校を守るために戦っていたころ。4月の阪神教育事件が代表的だ。
ちょうどその時期の話だが、この時期に実は朝鮮のピョンヤンに日本人学校があったそうだ。まだ朝鮮は朝鮮で、韓国も北朝鮮も政府が樹立する少し前、その頃の話だ。こちらにも転載させていただく。
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1948年4月19日から23日にかけて、平壌で朝鮮統一政府樹立のための南北諸政党・社会団体連席会議が開かれた。
そのとき南の代表として訪れていた金九の随行記者、金光斉が後に「北朝鮮紀行」という小冊子を発行したが、そこで「平壌日本人学校」という興味深い記事を載せている。
連席会議を終えたある日、市内を散歩していると偶然目にした「平壌日本人学校」の表札。興味津々、校内に入った。
校長は不在で副校長に話しを聞くと創立は1946年12月、学校の財政は北朝鮮人民委員会財政局で負担し、同年の予算は223万7000円。日本人教職員は10人、学生は中学生19人、小学生40人とのことである。
生徒の父母はみな日本人技術者で、彼らは朝鮮人技術者の最高額である5000円が支給され、子供はもとよりみな朝鮮人から差別されることなどないと話した。
ところで同じとき、日本政府は朝鮮学校閉鎖命令を出し、民族教育など認めないと国家権力をもって大々的な弾圧を繰り広げていた(4・24教育闘争)。
「旗を降ろせ/写真を掲げるな/朝鮮語をしゃべるな!」と。
高校無償化「適用除外」ですか、そもそも論で言うなら、日本政府は民族教育を積極的に保証すべき歴史的・道義的義務があるのですよ。(宣)
「朝鮮商工新聞」(3月16・23日付)から
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May 18, 2007
イムジン河のメロディ
今晩、あの「パッチギ」(井筒和幸監督)がテレビ放送される。 もう僕はすでに2回も見ているが、今夜も妻と共に見るつもりだ。
さて、この映画のテーマソングとなった歌、「イムジン河」は、僕は朝鮮学校で確か高校時代に習ってよく歌ったものである。
フォーク・クルセダーズのバージョンは2002年まで聞いたことがなかったが、初めて聞いたときメロディが少し違うと思った。 その違いはどこに原因があったのかが解った。 この曲の日本語の歌詞を付けた松山猛氏は、朝鮮学校に通う友人からこの歌を教わった。 その歌をフォークルの加藤和彦氏に口頭で歌って聞かせたのだ。 口頭伝達だから微妙な違いが生ずるのも当たり前で、その過程を想像すると笑ってしまう。
この歌、色々な紆余曲折を経て、歌詞も何種類かあるらしい。 ここを見ればこの歌についてもっと分かるかもしれない。 パッチギを見る人には映画と共にこの歌にも親しんで欲しいと思う。
明日はこの映画の続編、"Love & Peace"の封切り日とあって、絶好のタイミングでのTV放映。 続編も劇場へ見に行きたいと思う。
May 01, 2007
ドキュメンタリー映画「ウリハッキョ」IN ソウル
韓国のソウルでウリハッキョという映画を見た。韓国人の映画監督キム・ミョンジュン氏が北海道の朝鮮学校を3年間取材して作ったドキュメンタリー映画だ。
舞台は北海道朝鮮初中高級学校
北海道朝鮮初中高級学校は、日本学校で言えば小学校から高校までの一貫教育を実施しているのと同じである。小学一年生で入学すると、12年間同じクラスで勉強して卒業していくのだ。北海道には一つしかない朝鮮学校であるこの学校には北海道全域から生徒が集まってくるので、遠くの生徒のために寄宿舎がある。多くの生徒たちは小一のときから親元を離れ、寄宿舎でクラスメートたちと生活するのだ。この映画では生徒たちの学校生活とインタビューを中心に3年間のいくつかのエピソードが盛り込まれた。
朝鮮学校唯一の日本人教師
前半のクライマックスは日本人のサッカー監督、藤代先生についてだった。藤代先生は、朝鮮学校のサッカー部指導教師との交流を通して朝鮮学校を指導することになった。藤代先生の立派なところは、朝鮮学校の生徒を教えるには朝鮮語で話すべきだという信念を持ち、朝鮮語をマスターしようと努力し、映画中のインタビューでは日本語交じりの在日と同じような朝鮮語で話していた。後には正式に体育の教員になったのだ。朝鮮学校唯一の正式な日本人教師となったのだ。
映画の中では、地方予選を勝ち進み、あと一歩のところで敗れてしまった試合後の監督と生徒たちの悔しさがよく現れていて、とても感動的だった。
高級部卒業生の朝鮮への修学旅行
後半のクライマックスは卒業生たちの朝鮮への修学旅行。朝鮮学校の高級部(高校に相当)3年生は修学旅行で朝鮮を訪問する。今は入港できなくなってしまったマンギョンボン92号で訪問するのだ。
このときはマンギョンボン号で訪問できたのだが、「拉致被害者を救う会」の人々が船の前で大々的な反朝鮮抗議運動を展開していて、周囲は警察による厳戒態勢が敷かれていた。生徒たちはこのような波止場にマイクロバスで入り乗船することになるのだが、韓国人であるキム・ミョンジュン監督は入場を自粛せざるをえなかった。
これは生徒たちが乗船する姿を撮影できないということだ。しかし、監督は遠くから船が見えるところを探して、望遠レンズで船上の生徒たちを撮るのである。もう生徒たちの家族同然になった監督を見つけた船首のあたりに集まった生徒たちがみんなで一斉にポーズを取ったり、手を振ったり。とても良いシーンであった。しかし、監督は2年以上同じ民族として何の壁も感じずに親しくなった朝鮮学校の人たちとの分断の壁を初めて感じたのだと云う。
しかし、この監督には抜かりが無く、生徒の一人にビデオカメラを持たせたのだ。その生徒が責任持って祖国訪問の様子を撮影して帰ってくる。当然その様子も映画に出てくる。韓国中の映画館で朝鮮学校の生徒たちが朝鮮で観光を楽しむ姿が映されているのだ。なんと素晴らしいことだろう。
一生を教育に賭したお母さん先生
朝鮮学校はほとんど同胞たちの寄付によって運営されている。(朝鮮学校への寄付は法的に寄付と認められていないので、免税対象とならない)従って、教員たちの収入もそんなに多くない。なので女性の教師は結婚すると止めざるを得ない。そんな中で、結婚後もずっと教師を続けてきたベテラン教師がいた。その先生は、今回の主役生徒たちが高3の時にガンを患っていることが判明した。そのことは誰にも知らせずに、授業を責任を持って遂行する。生徒たちの卒業式が終わるとすぐに病院に運ばれたのだ。そしてしばらくの闘病生活の末に亡くなられてしまう。この先生は正に民族教育に我が身を捧げた、英雄的な教師だったと思う。ご冥福をお祈りします。
学校講堂での結婚式
北海道の朝鮮学校は半分以上の生徒たちとほとんどの教師たちが朝早くから夜遅くまで共に生活する、小さな世界だと言える。この学校の先生方は休むひまも無く働いているので、遊んだり、結婚相手を探したりするのも限られる。
この映画の中でも、教師同士の結婚式が出てくるのだが、結婚式は学校の講堂で執り行われた。朝鮮人は普通結婚式と披露宴を同時に行なう。幸せな主人公たちは同僚教師と生徒たち、それに同胞たちによる手作りの結婚式を行なった。僕の両親も昔、父の職場であった朝鮮学校の講堂で結婚式を行なったのだが、21世紀の現在もこのような結婚式が行なわれているのには驚いた。
こんなに感動的なドキュメンタリー映画は初めて見たような気がする。実は、僕も3月まで2年間、ある民族学校で働いていて、4月に辞めたばかりだった。そんな僕が韓国へ来てこの映画を見ることになったのは、何か運命的なものを感じた。この映画はまだ日本では公開されていない。何箇所かで上映会が行われたくらいだ。大阪の朝鮮学校で上映会があり、キム・ミョンジュン監督が挨拶されたそうだが東京ではまだのようで、近々千葉で上映会があると聞いた。
この映画、在日同胞が見ると必ず感動する。しかし、日本国民が見たらどうなのだろう?ぜひ多くの善良な日本人の皆様に素直な気持ちでご覧戴きたいと思う。
