大地震
September 01, 2023
関東大震災と朝鮮人虐殺
本日 関東大震災100周年を迎え、SNSで見つけたある日本人の方の投稿を取り急ぎご紹介する。
9.1は日本国が100年前の自らが仕掛け行った関東朝鮮人中国人虐殺についてその事実を認め国家責任を取るべき日だ。
しかし、今年もその事実さえ不知を通している。
NHKTVでは「福田村事件」を取り上げてデマで動く群集心理の怖さを無くすにはどうすべきか、のような報じ方をしていた。
しかし、ことの本質は当時、9月1日、間違いなく官憲が「朝鮮人が暴動」のデマを直接流し、または町内のフレ(府令)が流されたとの証言がいくつもある。自警団が組織され朝鮮人への迫害、殺戮が始まった。戒厳軍も東京市内への出動要請を受けた。2日朝には戒厳令が布かれ朝鮮人を敵とし軍事行動を起こした。3日朝には内務省警保局長・後藤文夫名で「朝鮮人が暴動」の内容を伝える無線電報が海軍船橋無線電信所から発信された。それは瞬時に全国の無線電信所で受信され各地方長官(知事)宛に伝えられた。関釜連絡船は3日の夕便より朝鮮人の上陸を厳禁とした。
それでも東京を脱出し5日釜山に着いた二人の学生、韓昇寅(明治大学)、李周盛(東洋大学)は6日ソウルに到着した。7日の『東亜日報』は「九死に一生を得て東京を脱出した二学生―生地獄の実況を目撃した最新の消息」の記事を報じた。しかし、この事実を本国にもたらしたこの二人は、流言飛語をなし朝鮮人を扇動したという口実で、その日(6日)のうちに警察に検束され監禁されてしまった。しかし、関東一円での朝鮮人虐殺の噂は口から口へと流れて行った。朝鮮総督府警務局長丸山鶴吉は「だんだんと実情が伝われば伝わるほど、人心はいやが上にも険悪となり、何んとなしに事が起こりそうな感じがして7日から10日間ばかりは役所に詰めきり、官舎にも帰らなかった」と述べ、8日から朝鮮人の日本渡航は全面的に禁止された。(金賛汀『関釜連絡船〜海峡を渡った朝鮮人』より)
こうして植民地朝鮮に対して徹底して虐殺の情報を隠蔽した。
また内地においても遺体、遺骨を隠滅し証拠となるものを徹底して隠ぺい、隠滅してきた。
しかし、あまりにもこの虐殺の規模が大きくその証拠と証言が残されている。証言は西崎雅夫氏の労作『関東大震災<東京地区1100の証言>朝鮮人虐殺の記録』にふんだんにある。
その中で9月1日の夕方に官憲がデマを流したという証言を二つ紹介したい。
一つは伴敏子(画家、当時15歳、北品川で被災)の証言、もう一つは友納友次郎(国語教育学者、勤務先の向島の小学校で被災〜友納武人元千葉県知事の父)の証言である。ぜひ知っていただきたい。
日清戦争以来、朝鮮を侵略、殺戮していき、日露戦争で武力を背景に財政権、外交権を奪い保護国とし、そして軍隊を解散させ、日韓併合へと進み、その領土を奪い、その生産物を収奪し、抑圧差別をしていった。それへの命がけの抵抗運動が続き、激しい弾圧を加えて行ったその歴史のあげく、関東大震災時に、朝鮮人の復讐を恐れ、時の内閣の支配層が、大震災で混乱する帝都を守るため(天皇を守るため)、無辜なる朝鮮人を犠牲にして、日本人避難民の皇居に乱入を阻止しようとしたと考えられる。
日本は今も国連のジェノサイド条約に加盟も加入もしていない。それに入るとこの問題が追及されることをおそれるのであろう。
6000名を超えると言われる朝鮮人犠牲者、750名を超える中国人犠牲者のことを抜きに9月1日を語ることは出来ない。
今もなお、不知を決め込む日本はその反省が無いのか。
過去の過ちに対する反省のない国は過ちを繰り返す。
それは正に今、福島の放射能汚染水を海に流すという行為にも表れている。

