在日コリアン
April 02, 2022
白竜のシンパラム
白竜のデビューアルバムのタイトルは「シンパラム」だった。 しかし、そのアルバムに収録されている曲、 「光州City」が政治的なメッセージを含んでいるという理由で発売禁止となってしまった。このアルバムは確か自主制作盤で作られ、コンサート会場で販売していたと思う。僕が高校時代、一度だけコンサートに行ったが、そのときも販売していた。ただ、僕には買えなかった。
こんな面白い記事を見つけた。白竜バンドの写真付きだ。この記事に アルバム「シンパラム」と「光州City」について書かれている。
ここでは「シンパラム」の曲について書きたいと思う。
白竜のデビューアルバムは 1980年に自主制作盤となった「シンパラム」だが、デビュー シングルは1979年8月に発売され、A面が 「アリランのうた」でB面が 「シンパラム(新しい風)」だった。どちらもスタジオ録音されていて、スタジオライブ収録のアルバムとは異なるバージョンだ。
最近、その2つのバージョンをつなげた動画を見つけたのでご紹介したい。
タイトルの「シンパラム」はハングルで書くと 신바람 で、副題にある通り 「新しい風」という意味を掛けているが、本当の意味は 楽しくてウキウキしている雰囲気を表す語である。この単語の「シン」は「新」ではなく、楽しくウキウキしている様子を表す形容詞、「신나다(しんなだ)」から来ている。
どういうことかというと、韓国の民衆が全斗煥(전두환/チョン・ドゥファン)大統領による軍事独裁政権の下で、特に反政府運動が激しく起こった光州市が政府の弾圧に対抗、武装して戦い、一時的に独立した期間ができたときの市民たちの喜びと希望を表現しているのだと思う。そう、この曲もまさに「光州City」と同じく、光州事件のことを歌っているのである。
アルバムは少し後に「キティーレコードから「光州City」とタイトルを変更して正式に発表された。
このアルバムには若き日の小室哲哉もバンドに加わっているので、コムロファンにもおすすめである。エンディングのソロは圧巻。
今の閉塞した日本社会でも新しい風が吹いてくれないものだろうか。そんなことを思いながら白竜のデビュー曲を紹介させていただいた。
デビューシングル、A面の「アリランのうた」も在日コリアンの共通の認識を歌っていてとても好きな曲だ。この曲は白竜自身、後に再レコーディングしているし、テレビでも歌ったりして何度も歌っている。そんな中、シングル盤の音源があったのでご紹介しておく。
こちらがシングル盤のジャケットをベースにした1分未満のショート動画。
こんな面白い記事を見つけた。白竜バンドの写真付きだ。この記事に アルバム「シンパラム」と「光州City」について書かれている。
ここでは「シンパラム」の曲について書きたいと思う。
白竜のデビューアルバムは 1980年に自主制作盤となった「シンパラム」だが、デビュー シングルは1979年8月に発売され、A面が 「アリランのうた」でB面が 「シンパラム(新しい風)」だった。どちらもスタジオ録音されていて、スタジオライブ収録のアルバムとは異なるバージョンだ。
最近、その2つのバージョンをつなげた動画を見つけたのでご紹介したい。
タイトルの「シンパラム」はハングルで書くと 신바람 で、副題にある通り 「新しい風」という意味を掛けているが、本当の意味は 楽しくてウキウキしている雰囲気を表す語である。この単語の「シン」は「新」ではなく、楽しくウキウキしている様子を表す形容詞、「신나다(しんなだ)」から来ている。
どういうことかというと、韓国の民衆が全斗煥(전두환/チョン・ドゥファン)大統領による軍事独裁政権の下で、特に反政府運動が激しく起こった光州市が政府の弾圧に対抗、武装して戦い、一時的に独立した期間ができたときの市民たちの喜びと希望を表現しているのだと思う。そう、この曲もまさに「光州City」と同じく、光州事件のことを歌っているのである。
アルバムは少し後に「キティーレコードから「光州City」とタイトルを変更して正式に発表された。
このアルバムには若き日の小室哲哉もバンドに加わっているので、コムロファンにもおすすめである。エンディングのソロは圧巻。
シンパラム(新しい風)
歌詞寒々とした夜明け前の光のない町中をいつからか 不思議な風が舞っているしいたげられた人々はその風を今か今かと待ちわびて偽善者達だけが恐れている吹けよ、吹き荒れろ、シンパラム
吹けよ、吹き荒れろ、シンパラムその風を心の中に受け入れた人々は人を憎み疑うことをやめ自由を手にするそして今詩人の心の中へと若者の中へ吹き荒れているRepeatそして今世界中のどこかでその風は舞っている白けた人々の心の中へと働きづくめの娼婦の心の中へと暮らしの貧しさは心の貧しさではないと吹き荒れているよRepeat
今の閉塞した日本社会でも新しい風が吹いてくれないものだろうか。そんなことを思いながら白竜のデビュー曲を紹介させていただいた。
デビューシングル、A面の「アリランのうた」も在日コリアンの共通の認識を歌っていてとても好きな曲だ。この曲は白竜自身、後に再レコーディングしているし、テレビでも歌ったりして何度も歌っている。そんな中、シングル盤の音源があったのでご紹介しておく。
こちらがシングル盤のジャケットをベースにした1分未満のショート動画。
January 08, 2022
傷痍(しょうい)軍人について
僕が好きでよく聞く歌に、在日コリアンのシンガーソングライター、いや、在日を代表するレゲエ・ロック ミュージシャン、朴保が歌う「傷痍軍人の歌」という曲がある。
こちらの動画で歌詞を見ながら聞くことができる。
随分前のことだが、この曲が収録された Who Can Save the World? という 朴保&切狂言 のCDを買って初めてこの曲を聞いたときまで、傷痍軍人についての記憶は完全に忘却していた。歌詞にあるとおり、まさに子供の頃のお祭りみたいな時に見た記憶が蘇った。
この記事を書こうと思ったのは、最近、大島渚監督が1963年にテレビ番組として傷痍軍人のドキュメンタリー「忘れられた皇軍」を撮ったことを知り、その映像をネットで見たからだ。そのとき頭の中にもやもやしていたものが吹き飛んで、本質がはっきり見えたからだ。
傷痍軍人とは、在日朝鮮人だったということ。
歌の歌詞には「異国の地に葬られ」との部分があるので、もしやとは思っていたが、終戦前には日本国籍になっていた在日朝鮮人は下級(?)日本人として日本軍に加わって戦場に駆り出されたのであった。国内、海外を問わずである。そして負傷しながらも生き残った日本軍兵士は政府から手厚い配慮を受けて怪我の治療に専念できた。しかし、戦後になって日本国籍を剥奪された在日朝鮮人の軍人たちは、外国人だからといって日本政府は切り捨て、何の保障もしてくれなかった。 だから、自分たちでどうにかお金を集めて生きるしか無かったのだが、これは彼らのその様子を取材したドキュメンタリーだった。
これがその映像に朴保の曲を乗せた動画である。
傷痍軍人は在日コリアンだった。だから、同じ在日の朴保がこの歌を書いて歌ったのだ。
こちらのライブ映像では間奏部分(4分40秒目)からその説明をしている。聞き取りづらいかも知れないが、この映像を見た時からおぼろげにこのことは頭の中に記憶された。
デイリーモーションで「忘れられた皇軍」を視聴できる。25分程度なのでぜひご覧頂きたい。戦争によって生まれたこの歴史的で悲劇的な事実を私達は忘れてはならないと思う。
今、ウクライナとロシアの間で戦争が行われているが、そちらでも大勢の戦死者とともに、このような傷痍軍人も日々生まれているのだと思う。こんな戦争は無くさなければならない。
December 30, 2021
在日コリアン2世の物語
僕が最近読み始めた本をご紹介する。タイトルは「二つの国、二つの文化を生きる」。著者は金正出 氏。 彼は在日コリアン2世として日本で生まれ、医大を卒業して茨城県で病院を開業。そこから老人介護福祉施設へと事業を広め、アムネスティの水戸事務所を開設、更には教育にも進出。幼稚園、韓国語学校、そして2014年には日本人、在日コリアン、そして韓国からの留学生らが、一つの教室で学ぶ多文化的な中高一貫の一条校まで設立して、地域の日本人にも広く支持されている。そのような彼の自伝である。
元々医大を卒業して医師になることは難しいことなのに、在日コリアンとして生まれて外国籍を維持したまま医師になることはなおさらに難しいことだったと思うが、その後、彼が一貫して日本に住む同じ在日コリアンのために尽くそうとしていた、大変な道乗りが分かる。どこまでも、社会の役に立つことを優先に考え、お金儲け最優先ではなかったことが素晴らしいことで、日本に住む外国人が見習うべき精神だと思った。

February 21, 2010
親戚の結婚式.に行ってきました。
お父様が地元で力のある在日コリアン商工人なので、式は高級ホテルを使って盛大に行われた。僕も弟と一緒に前日に行って一泊させていただいた。
在日コリアンは披露宴の場で結婚式を行う場合が多いのだが、今回は披露宴に先駆けてホテルにあるチャペルで式を行った。キリスト教結婚式風の入場・退場だったが、式の内容は通常通り宣誓文を読み上げて指輪を交換し握手するという段取り。教会式での定番であるキスシーンは残念ながらなかった。教会での一風変わった結婚式の雰囲気を味わうことができて面白かった。
披露宴は、在日コリアンの場合よくあることだが、日本語と韓国・朝鮮語(以降ウリマル)を交えて進行する。そこで大変なのが司会者。今回の司会者は僕と同期で朝鮮大学校の文学部を卒業した京都のキム・チンシルさん。彼女は大学時代から司会やアナウンス、MCなどで活躍していたが、今もこのような仕事を専門にしているとのこと。今回は半ば通訳を兼ねた司会だったが、とても上手かったと思う。ウリマルから日本語への訳は要点を適格に述べていた。
終盤はお決まりの民謡メドレーで、ご年配の参加者たちを中心に民族ダンス・パーティーの様相を呈した。
久しぶりにかつての東京朝鮮中高級学校時代の同僚教師二人に会えた。一人は在日本朝鮮サッカー団に所属していたリーさん、もう一人は現在長野の朝鮮学校の校長先生であるチン先生。
もちろん、新郎のおばあさん(僕のおば)やその家族と会っていろいろお話できたのも良かった。
新郎新婦のご家族の皆様、お疲れさまでした。僕は楽しい思いをさせていただき、最後まで親戚として一緒に過ごせなかったことを申し訳なく思っております。
新郎新婦、スンホ君・チヨンさん、お幸せに!