古田
October 11, 2007
リーグ受賞者多数のヤクルトスワローズ
今年残念ながら21年ぶりの最下位に転落してしまった東京ヤクルトスワローズ。しかし、今シーズン終了に伴い、多くの表彰者が出た。
何よりも今シーズンで引退する古田敦也監督兼捕手が特別功労賞を受賞した。永年スワローズの正捕手として活躍し、リーグの発展に貢献。在籍期間中、リーグ優勝5回を経験し、リーグMVP2回(93、97年)、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回(最多タイ記録)などリーグを代表する捕手として活躍し、91年には首位打者、05年には大学卒-社会人を経た選手としては初の2000安打を記録したことなどが評価された。
青木選手が打率.346で、新人の2005年以来の首位打者に返り咲いた。最高出塁率もマーク。最後まで青木と首位打者を争ったラミレス選手がセ・リーグ記録の204安打を放ち最多安打をマークし、特別賞を受賞すると共に、122打点で打点王に輝いた。投手でもグライシンガー選手が16勝で最多勝のタイトルを獲得。登板する試合の平均時間が3時間4分で、セ・リーグ平均試合時間の3時間19分を大幅に下回り、スピードアップ賞を受賞。
古田監督、青木、ラミレス、グライシンガー選手、おめでとうございました。
このように書くと何だか優勝したチームのトピックのようだ。しかし、監督兼任二年目の古田監督の指揮下で順位はリーグ最下位。21年ぶりだという。裏を返せば21年も最下位にはならなかったということ。
1980年代には武上四郎監督と土橋正幸の元でそれぞれ二年連続最下位になり、Aクラスは一度だけ(1980年2位)という弱小球団に成り下がっていた。最後の最下位は1986年。1990年に野村克也監督が就任した時からスワローズの黄金時代が始まり、90年代はリーグ優勝4回、日本一3回という常勝軍団に成長。
2000年代はチーム生え抜きの若松勉監督の元で2001年に日本一になり、他も2位から4位の間に定着していた。
まぁ、そろそろ最下位になっても良かったのかな、と思う。ただ、悔しいのはここ数年、僕が球場へ行って応援したりテレビで観戦したときの勝率は0パーセント! 全敗だ。これだけはストレス溜まってばかり。勝ってた試合も結局負けてしまう。せっかくビールまで用意していい気持ちになろうと思ってもそうなることが無かった。
来シーズン誰が監督になるのかわからないが、また強いチームに戻してくださいませ!! 特にフロントにお願いします! 昔の球団社長はジャイアンツファンでした。今のオーナーはもちろんヤクルトファンですよね?
October 08, 2007
古田監督、お疲れ様!最後までフル出場して!

昨日、プロ野球史上最高の捕手、東京ヤクルトスワローズの古田監督の引退セレモニーが神宮球場で行なわれた。とうとうこの日が来てしまった。
昨日は僕が望んでいたとおりに試合にフル出場。試合は負けたが、大いに盛り上がったそうだ。この試合で最後の打席で対戦したのは、広島に同期で入団し、同じく今季限りで引退の佐々岡投手。負け試合にも関わらず最終回に登板して締めたのが、古田と最も多く勝利の喜びを分かち合ったと思われる高津投手。先発は往年の、これまた強いヤクルトを象徴した、石井一久。粋な演出でファンを喜ばせてくれた。
テレビで古田の師匠、野村克也 楽天監督が「これからが本番だったのに、もったいない」と言ったが、これは生涯一捕手をまっとうし、南海(現ソフトバンク)ホークス監督を辞めてからも西武ライオンズで出来るところまで選手を続けた野村監督だけが送れる最大級のエールだったと思う。
古田選手兼監督、18年間お疲れ様でした。今回退団することになっても、監督になるなら必ずヤクルト・スワローズに帰ってきてください。18年間応援して悔いはありません。ありがとう!あと二試合、最後までフル出場してね!
September 28, 2007
古田選手、初安打!
東京ヤクルトスワローズの選手兼任監督、古田敦也、今季限りで引退なのはとても寂しい。球界デビュー以来世間を驚かしたこと度々。オールスター戦でサイクルヒットしたり、捕手の守備で最優秀選手に選ばれたり、選手会長時代にストライキを決行したり。最後のサプライズが、師匠野村克也監督以来のプレイング・マネジャー就任。
監督就任と同時に稲葉(日本ハムで活躍)、ラロッカ(オリックスの主力)が移籍し、五十嵐と石井のダブル・ストッパー「ロケット・ブラザーズ」は鳴りをひそめ、旧戦力で、メジャーから帰ってきた高津や石井一久に頼る状況に。
そんなこんなで今シーズン古田率いるチームは残念ながら広島東洋カープと最下位争いに参戦中。 でも、青木とラミレスが首位打者を競い、ラミレスは目下打点王だ。 投手でもグライシンガーが16勝を挙げてハーラーダービートップを走っている。なのにどうしてチームはこんな位置にいるのだろう?
1978年に広岡監督のもとで初優勝をしたときには個人タイトルは誰も取れなかったのとは対照的である。
昨日広島市民球場での「代打オレ」と二本のヒット、そしてセレモニー。なかなか感動的。テレビのニュースで見た古田監督の笑顔が良かった。
あと残り数試合、全試合でマスクをかぶり、打席に立ち、有終の美を飾ってほしい。もしかしたらチームも蘇るんじゃないの?
ヤクルトファン歴約30年の僕は、強いヤクルトを象徴していた古田敦也さんに心から感謝の意を表します。