僕が受けたいじめの記憶(小学校編)今年の海の日は開票所見学で盛り上がろう!参議院選挙だ!

June 18, 2025

僕が受けたいじめの記憶(中学校編)

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小学校編☟


「中学時代につるんだ二人」
父親の転勤に伴い、僕は小4の2学期から東京にある小中併設の学校に転校した。そこは30人クラスが二つで一学年60人前後だった。片田舎の小さな学校から来た僕はその規模の大きさに圧倒されて大変だったが、どうにか無難に小学を卒業してそのまま同じ学校の中学に進学した。


この時に学級の再編成があった。小学6年生の2クラス、60人がほぼそのまま中学に進学して、約半分のクラスメートが入れ替わった。また、小6まで親しくしてくれた近所に住んでいた友人が地方へ引っ越していなくなってしまった。今思えばそれも僕にとっては大きな試練だったかもしれない。


僕は新しいクラスになっても相変わらず内気で臆病で運動も嫌いで存在感のない静かな子供だった。自分から友達と仲良くしようともせず、常に声をかけられるのをひそかに待つような受け身の姿勢だった。お弁当も他のクラスメートは仲良しグループで机を付けて一緒に楽しく語らいながら食べていていたのだが、僕は一人でポツンと黙って母が作ってくれたお弁当を食べていた。そういえば、誰も「一緒に食べよう」と言ってくれる人もいなかったんだよな。後ろの席で数人一緒に食事している女子が気になったけど、恥ずかしくて後ろを向いて話しかけることもできない、そんな小心者だった。その時間はいつもビクビクしていた気がする。


その中1の頃だったか定かではないが、こんな静かで自己主張もできない僕に近づいてきたのがクラスメートのIとS。彼らとつるんでいた記憶はあるのだが、楽しく語り合った記憶はない。思い出すのは3人だけで行動するときには常に僕は彼らの言うことを聞かされていたということ。言うことを聞かなければ肉体的に「殴る」「蹴る」といった露骨な暴力ではなく、事あるごとに僕の頭を両手で持ってグッと下に押さえつけ上から力一杯下に向けて2,3回押し付けるみたいなことをされていた。


当時、僕は全ての教科書、ノートをショルダーバッグ型の学生カバンに入れて持ち歩いていた。他の男子の多くはカバンの中に何も入れないで勉強道具は学校の机の中に置きっ放しにしていたのだが。


そんなある日、IとSと3人で学校から一緒に歩いて出たところで何かのきっかけで彼らが僕にイチャモンを付けてその行為を行った。その時はさすがに腹が立ったので自分のカバンを振り回して彼らに反抗しようとした。しかし、そのカバンが重た過ぎてバランスを崩して自分で転んでしまい、その時に顔面を路面に打ち付けてしまった。その時、僕は2本の前歯を折って失ってしまった。


その時から大人になるまでずっと僕の前歯は差し歯だった。何度も抜けては歯医者で治療を受けることを繰り返していた。


10代前半で前歯を失ったことを思い返すと、今も悔しい感情が消えない。前歯が抜ける度に IとS への怒りがよみがえって来た。


「教育実習生への意地悪」

彼らとのことで覚えているのはもう一つある。


教育実習の先生が来た時の記憶だ。その時、IとSは僕を仲間にして実習生に対してやたら反抗して、嫌がらせを繰り返した。詳細は覚えていないが僕も一緒に調子に乗っていろいろやったと思う。彼らが色々な作戦を立てて僕はその実行のために使われたと思う。僕は嫌だったが従うしかなかった。


実習生は本当に困っていたようだ。彼にとって僕ら三人は質の悪い いたずら小僧3人組と思われていて、いつも仲よくしていると思われてたと思う。今さら弁明しても仕方ないが、僕はIとSの言いなりになって気が進まなかったけど、言われた通りにするしかなかったのだ。しなければ自分がやられるという恐怖心におびえていた。あの時の実習先生は僕らのことを覚えているのだろうか。覚えていたらその時のことを心からお詫びしたいと思う。




paul83 at 17:21│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 いじめ | 社会問題

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