いじめ
March 06, 2016
要介護状態になっても介護保健が使えないかも!
August 06, 2015
自民党のくまだ裕通、議員辞職すべし!
弱い者いじめを自慢する議員、熊田裕通は直ちに辞職せよ!
自民党のくまだ裕通という「国会議員」が自分の公式サイトにとんでもないことを書いたようだ。それも写真つきで。ツイッターで大量に批判ツイートされ、炎上に炎上を重ねているので、もうみんな知っていると思うが、これにはとても腹が立つので敢えてブログで抗議したい。こんな人が国会議員になれるなんて開いた口が塞がらないが、こんな彼の人格が明確になった以上、有権者はこの人を議員辞職させるべきだと思う。 これがこの記事の結論だ。
こんな記事を書いた。もうすでに削除されたのでウェブ上に出回っている画像をご紹介する。
要約すると、(恐らく)彼が高校生のときに臨時で勤務していた若い女教師が生意気だったので仲間と一緒にトイレの個室に閉じ込めてとんでもない虐めをして喜んだということを告白しているのだ。
このような犯罪を犯罪とも思わず、若気の至りで許されるような、もう時効だろう、みたいな感覚で公表する感覚。
そして、この写真、ツッパリの集団に見えるこんな写真を自慢げに載せるような感覚。
これこそ恥知らずだろう。犯罪のカミングアウトをしている。
そのときは警察に逮捕されなかった としてもこのような犯罪を犯したと自白している人を国会議員としてそのままにしておくのは道理に反するのではないか。
こんなことは当時の仲間同士で集まったときに話題にする以外は恥ずかしくて他人に話せることではない。普通はそう思うだろう。
この「議員」はそんな常識的な感覚も持ち合わせていない。 自慢のように書いている。おいおい、集団で女性に暴力振るったことのどこが自慢なの?弱い者いじめだろう!
ここに登場する、虐待を受けた臨時女教師はこれを読むことによりそのときのつらい思いが蘇り、今頃また苦しんでいるかもしれない。これこそ、セカンドレイプだ。そんなところにも心を配れない浅はかさ。
ネットで大騒ぎになったから謝罪を掲載してその記事を削除した。
しかし、メディアの取材に秘書が答えた内容が、火に注ぐ油だった。
「少年時代は、たいがいの男の子がスカートめくりをしたことがあると思います。そのような事実を書いただけで、深い意味があるわけではないです。過去にやっていた悪ふざけを肯定してもいません。あくまでも、過去からの流れの中で出てきたことです」え〜!ここでスカートめくりを持ち出すかよ!
スカートめくりをたいがいの男の子がしたことがあるなんて、そんなはずないだろう。
また、深い意味がなくこんなエピソードを晒すその感覚が批判されていることに気付いていないところでもうおしまいだ。
議員も秘書も、女性蔑視の古い思考で凝り固まっているということが暴露されたわけだ。
選挙でこの人に投票した有権者も、こんな人とは知らずに投票したのだろう。こんな酷い人間だということが分かったからにはこの人を支持し続ける訳には行かないはずだ。
一刻も早くこの「議員」と、同類の議員も一緒にバレる前に辞職することを願って止まない。
くまだ裕通に関するまとめのページ
February 24, 2013
北海道新聞の記事 「朝鮮学校 理が通らぬ無償化外し」
昨日 以下のようなタイトルの記事が掲載された。
朝鮮学校 理が通らぬ無償化外し
これぞ正論だと思うので、全文を引用する。-----------------------------------------引用ここまで--------------------------------------
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January 26, 2013
朝鮮学校の高校無償化除外に対するパブリックコメントの締切日に思う
朝鮮学校の高校無償化除外に対するパブリックコメントの締切日に思うこと
今日が朝鮮学校の高校無償化除外に対するパブリックコメントの締切日だった。僕も在日コリアンの一人として高校無償化から除外することを反対するコメントを書いた。
ツイッターを見てみると、僕のように朝鮮高校を無償化しようという主張がたくさん見られたが、逆に、どうにか朝鮮学校の高校無償化適用を阻もうとする人々がその旨をみんなでコメントしようと呼びかけているつぶやきがたくさんあった。
在日コリアンなんてたかが50万人。そのうちの全ての高校生の中で朝鮮高校に通っている生徒はほんの一握りだ。極めて少数派だといえる。
そんな少数派が日本人にはとてつもなく大きな存在らしい。
先進国の日本国民はかつては気持ちに余裕があっておおらかだった。国民全体が経済的に余裕ができたからだろう。そのときから日本国の底辺を支えてきたのが在日コリアンではなかったか。
そんな少数マイノリティの高校生の授業料を払うか払わないかなどと議論しているなんて、とても心が貧しいと思う。日本は経済大国で国は裕福に見えるが、国民の心はとても貧しいものに見えてしまう。日本国民の暮らしは確かに以前より厳しくなってきている。
しかし、世界的にも物価の高い日本に住んでいる在日外国人たちにとってはもっと厳しい。日本人は自分のことで精一杯で、もうマイノリティを邪魔者扱いするようになってしまったのか。国の経済が悪化すると、最初に攻撃を受けるのが、立場が弱い外国人だ。
こんなとき日本人にとって外国人とは迫害する者なのか、それとも守るべきものなのか。今回の安部政権が行った、朝鮮学校に対する高校無償化適用を可能とする条項の一方的な削除はどう考えても弱いものいじめであり、少数派に対する多数派の袋叩きとしか思えない。
March 19, 2010
「いじめ」は「殺し」! あるツイッターのつぶやきより
そんなツイッターの中で、注目すべきつぶやきを見つけた。それは「いじめ」に関する見解だ。この方のIDは sumiyakist さんで、学校でいじめに遭って登校拒否をしているお嬢さんをお持ちだ。
彼女が10個近いつぶやきで長い自己主張をされていたので、ご本人の許可をいただいてこちらにブログ記事として転載させていただいた。ツイッターのつぶやきはいつの間にかはるか彼方に消えてしまう。その前にひとつの記事としてまとめたかった。
そんなに長くない文だが、非常に意味が深いと思う。
転載ここから------------------------------------------------------------------
いま、日本中の学校で起きている「いじめ」は、「いじめ」と言うよりは、「殺し」と表現した方が、より現実に対して誠実な捉え方だ。 「殺し」に成功したケースでは、被害者はみな自殺している。
理由もなしに、自殺する子なんかいない。
子どもを、いじめによる自殺で失った方のサイトなんかを注意深く読んでいると、かならず、被害者妄想的なコメントが多々寄せられているのが分かる。
つまり、「いじめがあったなんて、事実無根の被害者妄想はやめてください。迷惑です。名誉毀損です。あなたは私たちをいじめています。」と言った様な性質のコメントである。
いじめによる殺人は、常に、分業化、というシステムによって達成される。これは、「縦割り行政」に似ている。
これは、ナチスがユダヤ人を大量虐殺する時に依存したシステムだと記憶している。ある人は、貨物列車で、ユダヤ人をある場所まで運ぶ、ある人は、小屋を見張る。 ある人は、シャワー室だと聞いているガス室まで、ユダヤ人を誘導する、ある人は、始業のチャイムを成らすような気軽さで、朝の朝礼と共に、毒ガスのボタンを押す。
これらの行動は全て、組織の命令に従ってしているだけの事であり、その行動に対して、罪の意識を持つものなど誰もいない。
ベトナム戦争では、この手法が更に研究され、権力者の地位や名誉を、平和を訴える民から守るために使用されるようになった。
転載ここまで ------------------------------------------------------------------
November 19, 2006
自分の子供がいじめの加害者にならないように!
いじめについて、学校はどう対応すべきか?
今日NHKでいじめについての番組を偶然見た。
オーストラリアの学校での実践を紹介していた。紹介された学校では、小学生が実際にいじめの場面を演技して、このことで、お互いの気持ちはどうなるであろうかと討論をさせていた。
豪州の学校では、両親と連携をとりながら、いじめについて次の3つを常に心がけていると言う。
1.いじめは当然あるということを前提に考える。
2.いじめには迅速に対応する。
3.加害者にならないように教育する。
1.について、日本ではいじめがあると学校のイメージダウンになるので、いじめについては否定するのが当然のようになっている。しかし、オーストラリアでは、いじめがあるのは当然で、それに対してどのように取り組んでいるのかが重要なのだ。
2.は、常に生徒たちの様子を観察し、いじめの小さな芽が現れた時点で、当事者同士で話し合って解決させている。 ただし、日本の学校ではシカト、仲間はずれなど社会的ないじめの割合が、殴ったりする身体的ないじめよりはるかに高いのに対して、他の国々は、身体的いじめの方が高いという違いがある。
3.は、いじめを黙って黙認したり、見ないふりをするのもいじめの加害者であるという考え方で、親は自分の子がいじめの加害者になっていないか家庭で心配しているという。自分の子がいじめられていないか心配する日本とは正反対である。
今後、日本の全ての教師と親が子供がいじめの加害者にならないように教育することがとても大事だと思う。文部科学省や教育委員会、果ては学校の教師までが、学校のいじめ自体を否定し、いじめ報道により生徒数が減るのを恐れている現状をそのままにしないためには、やはり学校の「顧客」である、親たちの意識改革が必要だと思う。以前、いじめている友達の名前まで出して自殺した中学生に対し、学校は、いじめが原因ではなく、個人の人間関係上のトラブルが原因であると言い切ったことがあった。ここに僕は学校の校長や(校長の天下り先と言われている)教育委員会の保身主義を見ることが出来る。