February 2021
February 27, 2021
高田みづえ カタカナ演歌 硝子坂
高田みづえという歌手がいる。彼女は1977年に「硝子坂」でデビューした。彼女は17歳でデビューしたので、僕は当時13歳。幼い僕が彼女の歌を好んで聞いたのだ。
彼女の歌が ストリーミングアプリの SPOTIFY/スポッティファイ で聞けることが分かったので、今回、彼女の歌を一通り聞いてみて記事を書いてみたくなった。
高田みづえをテレビで何度か見て、とても地味なアイドルだなぁ、という印象を持ったにもかかわらず、彼女が歌手として好きになった理由は単純だ。
当時、テレビは親のもので、親が見せたい番組しか見せてもらえなかったから、僕が歌謡曲を聞くのは主にラジオだった。両親は僕に小さなAM専用ラジオを買ってくれた。毎晩、自分のベッドでイヤホン挿してラジオ聴きながら寝たものだった。当時、TBSラジオでは小島一慶と林美雄が交代でパーソナリティを努めていた「夜はともだち」というバラエティ番組があった。様々なコーナーがつながる長時間番組だが、そのなかに「今月の歌」みたいなコーナーがあって、毎日同じ時間に同じ歌が流れるようになっていた。そのコーナーで知って好きになった曲が何曲かあるのだが、高田みづえの「硝子坂」もそのうちの一曲である。
毎晩流れるこの歌の歌詞が子供心に悲しかったのである。少女が見知らぬ男の人に呼びかけられ、その男性が気になりだす。その男が坂の上からこっちへおいでと手招きする。それでいざ出会ったら、どうもうまく話せない。そうしているうちに坂道が粉々に砕けてしまう。その様から、このタイトルが付いたのだろう。
「硝子坂」
なんと、デビュー曲発売前に出演したテレビの映像が上がっていた!歌の最初から涙の跡が見えるがその理由は、動画の前の部分を見ればわかる。
1985年に関取と結婚し、相撲部屋の女将になるため、芸能界を引退!ゴダイゴの活動休止と同じ年だ。
ファイナル・コンサートでの音源
それから30年経って、歌手復帰。そのとき歌った「硝子坂」の映像。この映像、この年の僕の誕生日だった!
この歌を聞くと、高田みづえの歌い方はこぶしが効いていてとても演歌的である。しかしながらかなりアップテンポでもある。そして、青春時代の少女の気持ちを歌っていることから、彼女の歌は「カタカナ演歌」と称された。その後の発表曲もそろってアップテンポな曲ばかりである。
「硝子坂」に続いた2曲は、ラジカセで録音した曲を何度も聞いたものだった。
「だけど…」
「ビードロ恋細工」〜ビードロの意味もわからず、なんとなくビロードと勘違いしながら聞いていた。今もその意味は分からないまま。
その次に出したシングル、「花しぐれ」は、何度もテレビで見た記憶がある。紅白出場曲だったこともあるだろうが、逆に録音したものを聞くことはあまりなかったように思える。この曲で 五月雨を「さみたれ」と読むことを学んだ。
ほら。「硝子坂」から始まる4曲ともとてもアップテンポ!だけど、歌う姿勢はほぼ直立不動!当時のアイドルはもちろん、人気演歌歌手でも直立不動は珍しかったんじゃないかな。それでも彼女の飛び抜けた歌唱力が見る者の目を離させなかったのだ。
この「花しぐれ」が1978年の曲。この年の後期にはテレビドラマ「西遊記」が始まり、僕がゴダイゴと出会う。そして、僕の音楽の興味はゴダイゴと当時流行していたフォークやロック、別名、ニューミュージックに移っていった。
歌謡曲の世界もニューミュージック優勢になり、アイドル歌手たちがニューミュージック系の曲を歌ってヒットさせることが普通になっていく。高田みづえもその道で花を咲かせるが、そのお話はまた次の機会に。