March 2010
March 19, 2010
「いじめ」は「殺し」! あるツイッターのつぶやきより
ツイッターは140文字までの文をつぶやくコミュニティで、日々ユーザーが増えている。僕もツイッターでつぶやき始めた。フォローしてくれる人が増えるとどんどん面白くなる。お手軽なブログ感覚だ。
そんなツイッターの中で、注目すべきつぶやきを見つけた。それは「いじめ」に関する見解だ。この方のIDは sumiyakist さんで、学校でいじめに遭って登校拒否をしているお嬢さんをお持ちだ。
彼女が10個近いつぶやきで長い自己主張をされていたので、ご本人の許可をいただいてこちらにブログ記事として転載させていただいた。ツイッターのつぶやきはいつの間にかはるか彼方に消えてしまう。その前にひとつの記事としてまとめたかった。
そんなに長くない文だが、非常に意味が深いと思う。
転載ここから------------------------------------------------------------------
いま、日本中の学校で起きている「いじめ」は、「いじめ」と言うよりは、「殺し」と表現した方が、より現実に対して誠実な捉え方だ。 「殺し」に成功したケースでは、被害者はみな自殺している。
理由もなしに、自殺する子なんかいない。
子どもを、いじめによる自殺で失った方のサイトなんかを注意深く読んでいると、かならず、被害者妄想的なコメントが多々寄せられているのが分かる。
つまり、「いじめがあったなんて、事実無根の被害者妄想はやめてください。迷惑です。名誉毀損です。あなたは私たちをいじめています。」と言った様な性質のコメントである。
いじめによる殺人は、常に、分業化、というシステムによって達成される。これは、「縦割り行政」に似ている。
これは、ナチスがユダヤ人を大量虐殺する時に依存したシステムだと記憶している。ある人は、貨物列車で、ユダヤ人をある場所まで運ぶ、ある人は、小屋を見張る。 ある人は、シャワー室だと聞いているガス室まで、ユダヤ人を誘導する、ある人は、始業のチャイムを成らすような気軽さで、朝の朝礼と共に、毒ガスのボタンを押す。
これらの行動は全て、組織の命令に従ってしているだけの事であり、その行動に対して、罪の意識を持つものなど誰もいない。
ベトナム戦争では、この手法が更に研究され、権力者の地位や名誉を、平和を訴える民から守るために使用されるようになった。
転載ここまで ------------------------------------------------------------------
そんなツイッターの中で、注目すべきつぶやきを見つけた。それは「いじめ」に関する見解だ。この方のIDは sumiyakist さんで、学校でいじめに遭って登校拒否をしているお嬢さんをお持ちだ。
彼女が10個近いつぶやきで長い自己主張をされていたので、ご本人の許可をいただいてこちらにブログ記事として転載させていただいた。ツイッターのつぶやきはいつの間にかはるか彼方に消えてしまう。その前にひとつの記事としてまとめたかった。
そんなに長くない文だが、非常に意味が深いと思う。
転載ここから------------------------------------------------------------------
いま、日本中の学校で起きている「いじめ」は、「いじめ」と言うよりは、「殺し」と表現した方が、より現実に対して誠実な捉え方だ。 「殺し」に成功したケースでは、被害者はみな自殺している。
理由もなしに、自殺する子なんかいない。
子どもを、いじめによる自殺で失った方のサイトなんかを注意深く読んでいると、かならず、被害者妄想的なコメントが多々寄せられているのが分かる。
つまり、「いじめがあったなんて、事実無根の被害者妄想はやめてください。迷惑です。名誉毀損です。あなたは私たちをいじめています。」と言った様な性質のコメントである。
いじめによる殺人は、常に、分業化、というシステムによって達成される。これは、「縦割り行政」に似ている。
これは、ナチスがユダヤ人を大量虐殺する時に依存したシステムだと記憶している。ある人は、貨物列車で、ユダヤ人をある場所まで運ぶ、ある人は、小屋を見張る。 ある人は、シャワー室だと聞いているガス室まで、ユダヤ人を誘導する、ある人は、始業のチャイムを成らすような気軽さで、朝の朝礼と共に、毒ガスのボタンを押す。
これらの行動は全て、組織の命令に従ってしているだけの事であり、その行動に対して、罪の意識を持つものなど誰もいない。
ベトナム戦争では、この手法が更に研究され、権力者の地位や名誉を、平和を訴える民から守るために使用されるようになった。
転載ここまで ------------------------------------------------------------------
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by Twitter BackgroundsMarch 18, 2010
朝鮮高校も無償化に含む―数多くの大学教授たちが支持!
ネット上で大学教授達が「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の要請書」を今日文科省に提出する。10:30から記者会見を開く。要請書のあて先は次の三人。
・内閣総理大臣 鳩山由紀夫 ・文部科学大臣 川端達夫 ・内閣官房長官 平野博文
★内容〜100%納得です。
★賛同者一覧〜数の多さに圧倒されます。感動です!時間かかるので数えられません。
★メッセージダイジェスト〜これを読むと元気でます!とても心強いです。
やはり学のある人たちの考えることは違いますね。理路整然としています。
多くの方々に読んでもらいたくてご紹介しました。
「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の要請書
高校無償化に朝鮮高校を含めるべきか除外すべきか考えるときに読んでもらいたい 2
前のブロガーさんのMIXI日記にコメントされた内容。こちらもまた転載なので、MIXIに加入していない人にも読めるように、前回同様に転載する。
中国・大連でも日本人学校があり、そこで学ばれた方が「日韓百年市民ネット」のMLに次のように書いてありました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
わたしは、敗戦後4年間、現在の中国東北部の都市大連ですごしましたが、あとのほぼ3年間は「大連日僑学校」という名の学校に通っていました。「日僑」という呼び名に違和を感じるひとがたぶんいるでしょうが、「僑」とは居留民のこと。
この学校は、当時、国民党系と共産党系のひとびとが協力しあって、「大日本帝国」の支配から脱しえたばかりの大連市を自治的に運営するために、ソ連占領軍当局の了解のもとに、創設した大連市政府から、日本人総引揚ののちも大連に「残留」して、その知識や技術を中国人に伝えてほしいと要請された技術者・研究者の子供たちの教育機関として、大連市政府から設立を許可されたものです。
日本人技術者研究者がなぜ残留を要請されたかについては、重要な歴史的要因がからんでいるのですが、ここでは省きます。
この学校の生徒は、したがって、日本人だけでした。教師も日本人。教育に用いられる言語は日本語でした。
その当時、わたしもふくめおおかたの生徒たちはそれを当然のことと思い、なにひとつふしぎには思って
いませんでした。
これが大連市政府の大英断であったのだとわたしが気づいたのは、わたし自身が、たしかまだ東知事の時代だったと思うのですが、東京都が朝鮮人学校を閉鎖しようとしたことに反対してたたかっていたときのことでした。
ひじょうに哀しいことですが、わたしたちのこの民族のなかには、いまだに、在日韓国朝鮮人が自分たちの子供を自分たちの民族の言語で教育することそれ自体を快く思わないひとたちがいます。
これにひきくらべ、あの「大日本帝国」が敗れてまもない時期に、つい先頃まで自分たち中国民族を軽蔑し抑圧してきた日本人たちに対して、その子弟を、自分たちが独自に自分の民族の言語で教育することを許した中国人たちの心のひろさ、大連市政府の(そしてまたソ連占領軍当局の)民族政策の正しさには、いまあらためて脱帽するほかありません。
ことはまぎれもなく単純なのです。
世界中のどの民族も、自分たちの子弟を、自分たちの手で、自分たちの民族の言語を用いて教育する権利をもっています。どのような理由があろうとも、この権利そのものを侵害することはゆるされません。朝鮮高校に対して、どのような意味においても、差別的とりあつかいをしてはならない。
これは、国交があるとかないとか、教育内容がどうとかいったこととはいっさいかかわりがない。
いつになったら、わたしたちのこの民族に属するひとびとは、こういったことが単純で議論の余地のないことであると気がつくのでしょうか?
彦坂 諦
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中国・大連でも日本人学校があり、そこで学ばれた方が「日韓百年市民ネット」のMLに次のように書いてありました。
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わたしは、敗戦後4年間、現在の中国東北部の都市大連ですごしましたが、あとのほぼ3年間は「大連日僑学校」という名の学校に通っていました。「日僑」という呼び名に違和を感じるひとがたぶんいるでしょうが、「僑」とは居留民のこと。
この学校は、当時、国民党系と共産党系のひとびとが協力しあって、「大日本帝国」の支配から脱しえたばかりの大連市を自治的に運営するために、ソ連占領軍当局の了解のもとに、創設した大連市政府から、日本人総引揚ののちも大連に「残留」して、その知識や技術を中国人に伝えてほしいと要請された技術者・研究者の子供たちの教育機関として、大連市政府から設立を許可されたものです。
日本人技術者研究者がなぜ残留を要請されたかについては、重要な歴史的要因がからんでいるのですが、ここでは省きます。
この学校の生徒は、したがって、日本人だけでした。教師も日本人。教育に用いられる言語は日本語でした。
その当時、わたしもふくめおおかたの生徒たちはそれを当然のことと思い、なにひとつふしぎには思って
いませんでした。
これが大連市政府の大英断であったのだとわたしが気づいたのは、わたし自身が、たしかまだ東知事の時代だったと思うのですが、東京都が朝鮮人学校を閉鎖しようとしたことに反対してたたかっていたときのことでした。
ひじょうに哀しいことですが、わたしたちのこの民族のなかには、いまだに、在日韓国朝鮮人が自分たちの子供を自分たちの民族の言語で教育することそれ自体を快く思わないひとたちがいます。
これにひきくらべ、あの「大日本帝国」が敗れてまもない時期に、つい先頃まで自分たち中国民族を軽蔑し抑圧してきた日本人たちに対して、その子弟を、自分たちが独自に自分の民族の言語で教育することを許した中国人たちの心のひろさ、大連市政府の(そしてまたソ連占領軍当局の)民族政策の正しさには、いまあらためて脱帽するほかありません。
ことはまぎれもなく単純なのです。
世界中のどの民族も、自分たちの子弟を、自分たちの手で、自分たちの民族の言語を用いて教育する権利をもっています。どのような理由があろうとも、この権利そのものを侵害することはゆるされません。朝鮮高校に対して、どのような意味においても、差別的とりあつかいをしてはならない。
これは、国交があるとかないとか、教育内容がどうとかいったこととはいっさいかかわりがない。
いつになったら、わたしたちのこの民族に属するひとびとは、こういったことが単純で議論の余地のないことであると気がつくのでしょうか?
彦坂 諦
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March 17, 2010
高校無償化に朝鮮高校を含めるべきか除外すべきか考えるときに読んでもらいたい その1
日本の鳩山政権は高校無償化を決めて実施しようとしたところ何かと政治的な思惑が交錯し、当初対象となっていた外国人学校が含まれないままの開始になってしまった。それというのも朝鮮高校を含めるかどうかの議論で鳩山政権が揺らいでしまったからだ。
日本国民の中には朝鮮学校を快く思わない人々が増えてきているようで、それがこの事態を引き起こしたと思う。色々と書きたいことはあるが、何はともあれ以下の文を読んでほしい。これはMIXIで知り合った方のブログに紹介されていたもの。ある新聞のコラムみたいだ。
1948年、日本では政府が朝鮮学校を閉鎖するための弾圧をかけ、在日同胞が朝鮮学校を守るために戦っていたころ。4月の阪神教育事件が代表的だ。
ちょうどその時期の話だが、この時期に実は朝鮮のピョンヤンに日本人学校があったそうだ。まだ朝鮮は朝鮮で、韓国も北朝鮮も政府が樹立する少し前、その頃の話だ。こちらにも転載させていただく。
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1948年4月19日から23日にかけて、平壌で朝鮮統一政府樹立のための南北諸政党・社会団体連席会議が開かれた。
そのとき南の代表として訪れていた金九の随行記者、金光斉が後に「北朝鮮紀行」という小冊子を発行したが、そこで「平壌日本人学校」という興味深い記事を載せている。
連席会議を終えたある日、市内を散歩していると偶然目にした「平壌日本人学校」の表札。興味津々、校内に入った。
校長は不在で副校長に話しを聞くと創立は1946年12月、学校の財政は北朝鮮人民委員会財政局で負担し、同年の予算は223万7000円。日本人教職員は10人、学生は中学生19人、小学生40人とのことである。
生徒の父母はみな日本人技術者で、彼らは朝鮮人技術者の最高額である5000円が支給され、子供はもとよりみな朝鮮人から差別されることなどないと話した。
ところで同じとき、日本政府は朝鮮学校閉鎖命令を出し、民族教育など認めないと国家権力をもって大々的な弾圧を繰り広げていた(4・24教育闘争)。
「旗を降ろせ/写真を掲げるな/朝鮮語をしゃべるな!」と。
高校無償化「適用除外」ですか、そもそも論で言うなら、日本政府は民族教育を積極的に保証すべき歴史的・道義的義務があるのですよ。(宣)
「朝鮮商工新聞」(3月16・23日付)から
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日本国民の中には朝鮮学校を快く思わない人々が増えてきているようで、それがこの事態を引き起こしたと思う。色々と書きたいことはあるが、何はともあれ以下の文を読んでほしい。これはMIXIで知り合った方のブログに紹介されていたもの。ある新聞のコラムみたいだ。
1948年、日本では政府が朝鮮学校を閉鎖するための弾圧をかけ、在日同胞が朝鮮学校を守るために戦っていたころ。4月の阪神教育事件が代表的だ。
ちょうどその時期の話だが、この時期に実は朝鮮のピョンヤンに日本人学校があったそうだ。まだ朝鮮は朝鮮で、韓国も北朝鮮も政府が樹立する少し前、その頃の話だ。こちらにも転載させていただく。
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1948年4月19日から23日にかけて、平壌で朝鮮統一政府樹立のための南北諸政党・社会団体連席会議が開かれた。
そのとき南の代表として訪れていた金九の随行記者、金光斉が後に「北朝鮮紀行」という小冊子を発行したが、そこで「平壌日本人学校」という興味深い記事を載せている。
連席会議を終えたある日、市内を散歩していると偶然目にした「平壌日本人学校」の表札。興味津々、校内に入った。
校長は不在で副校長に話しを聞くと創立は1946年12月、学校の財政は北朝鮮人民委員会財政局で負担し、同年の予算は223万7000円。日本人教職員は10人、学生は中学生19人、小学生40人とのことである。
生徒の父母はみな日本人技術者で、彼らは朝鮮人技術者の最高額である5000円が支給され、子供はもとよりみな朝鮮人から差別されることなどないと話した。
ところで同じとき、日本政府は朝鮮学校閉鎖命令を出し、民族教育など認めないと国家権力をもって大々的な弾圧を繰り広げていた(4・24教育闘争)。
「旗を降ろせ/写真を掲げるな/朝鮮語をしゃべるな!」と。
高校無償化「適用除外」ですか、そもそも論で言うなら、日本政府は民族教育を積極的に保証すべき歴史的・道義的義務があるのですよ。(宣)
「朝鮮商工新聞」(3月16・23日付)から
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