コリアン

February 03, 2014

辛淑玉さんの宇都宮けんじ応援演説書き起こしと動画

辛淑玉さんの宇都宮けんじ応援スピーチ

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ShinSugOk在日コリアン3世の辛淑玉さんが2月2日に宇都宮健児候補支援者たちの渋谷フェスというイベントで宇都宮さんの応援スピーチを行った。

辛淑玉さんのスピーチを聞くと、やはり僕は常に弱者の味方をしていらっしゃった宇都宮健児さんに都知事になってほしいと思う。

辛淑玉さんは渋谷生まれの渋谷育ちだが、外国人のままなので当然選挙権はない。 帰化を申請したけど却下されたそうだ。票を持たないさんがなぜ宇都宮さんを応援するのか。動画を見ればよく分かる。ぜひ聞いてくほしい。併せて、続いて行われた宇都宮さんのスピーチの動画もご紹介するす。最後に辛さんのスピーチを書き起こしを転載した(2/4)。

辛淑玉
さんの応援スピーチ
 
宇都宮さんのスピーチ


辛淑玉さんの応援スピーチ

在日朝鮮人三代目の辛淑玉です。私は宇都宮けんじさんが大好きです。

私はここに一票持っていません。一票持っていない私は、宇都宮けんじさんの応援に来ました。そして、この人が東京都知事になってくれなければ、私たちの明日はない、あなたと私の明日はない、と思っています。

渋谷は私の生まれたまちです。私は東京都渋谷区で生まれました。母も渋谷で生まれました。そして、私はこのまちをずっと歩いてきました。私はこの後ろにある都立第一商業高校に入りました。そうなんです、ここから歩いてすぐです。
 
なぜその学校に入ったのか。朝鮮人でも商業高校を出たら就職できるって言われたんです。高校一年のとき、一生懸命頑張って勉強しました。簿記もやりました。今は電卓だけど、当時はソロバンです。ソロバンもやりました。だけど在日で就職している人は一人もいませんでした。
 
そして私は学校に行くのをやめました。で、このまちを徘徊しました。貧乏は苦しいと思いました。高校に行くために、900円の授業料を出すというのは、私にとってはとても大変でした。夜は焼肉屋でアルバイトをし、昼間は学校に行ったり行かなかったりし、そして朝は新聞の配達をし、空き缶を集め、ビール瓶を集め、1個5円でした。それを換えてなんとか生きてきました。その裏にあるパン屋さんには、これで何が食べられるかと思いながら、歩きました。

貧乏は辛いです。そしてその貧乏な私たちのような生き方を、今の若者に、この国は強いています。明日がない。仕事がない。先だって冷凍食品に農薬を入れた人は、年収が200万円だと聞きました。手取りにしたら16万円くらいです。それで生きていくというのは、とても大変なことです。50歳近くになって、非正規で。そんな世の中にしたのは、今の政権であり、今までの政権であり、そして、それを見て見ぬふりをし対立を煽ってきたのは、東京都知事たちです。

2000年の石原慎太郎東京都知事の「三国人発言」のときに、私はそれに向かって声をあげました。石原知事はこのとき、「もし大震災が起きたときに、三国人たちが騒じょう事件を起こす。だから自衛隊よ、出てきてくれ」と言いました。つまり、朝鮮人たちは悪いことをするから、殺してくれと言ったわけです。それに対してNOの声をあげました。

私はこの土地で生きています。そして日本の人たち、日本の国籍を持った人たちと生きています。日本の国籍を持った父、そして朝鮮の母、さまざまな子たちがこのまちで生きています。
 
東京というのは、とても懐の深いまちです。私をここまで育ててくれました。その東京が、どんどん壊れていきます。見てください、あなたと私を喧嘩するように、この東京はずっとやってきたんです。

そうではない、あなたも生きて、私も生きて、あなたも私も貧乏は嫌です。あなたも私も一緒にご飯を食べていきたい。高校を出たら就職したい。そして自分が一生懸命働いたら、生きていけるだけの、生活をできるだけのお金が欲しい。でも、働いても働いても先がない。

「なんであなたは会社の経営者になったの?」ってよく言われます。私は会社の経営を30年やりました。なんでなったのか。就職できないからなったんですよ。就職できないから社長になったんですよ。
 
もし私が、もしここがもっと差別のない東京であったなら、もし女として生まれなかったら、もし朝鮮人として生まれなかったら、私にはもっと違う人生があっただろうか、と思うときがあります───だけども私はこの土地で、朝鮮人として、在日の三代目として、そしてここで生まれてここで育ちました。

そして今、東京は、ヘイトクライムの、レイシズムのメッカになりました。「良い朝鮮人も、悪い朝鮮人も、殺せ」という言葉が、毎週毎週、東京のまちを覆っています。私は殺される対象になりました。だけどもここは私の故郷です。出て行けと言われても、ここが私の家であり、ここで私は生きていて、ここで私は飯を食べ、ここで私は恋をして、ここで私は今、生きているのです。

私はレイシズムに対して、「のりこえねっと」というネットワークを立ち上げました。私はなぜ立ち上げたのか。私たちと一緒にこの国を、この土地を、この渋谷を、この新宿を、そういうレイシストのまちにしたくないと言って、声をあげてくれた友だちがたくさんいるからです。その人たちの後をついていきたいと思いました。

そして、私は、そのときに声をかけました。
宇都宮さん、一緒に『のりこえねっと』をやってくれないだろうか」
彼は二つ返事でOKしてくれました。

一票にならない人間のために声をあげてくれる人たちが、今までいたでしょうか。人権は好きだけど当事者が嫌いな人たちがいっぱいいました。そして嘘ばっかりの政治の中で、半径300メートルの中で、あなたも私も一緒に生きていくという、これを実際に行動に移してくれたのは、私の隣にいる宇都宮さんです! 私は宇都宮けんじが大好きです。一票ないけど、私は彼を応援します。
 
みんな、よろしくね。そして、一緒に生きていこうね。


paul83 at 22:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 14, 2010

新大久保にある高麗博物館に行ってきました!5


museumentrance1去る11月12日(金)、高麗博物館に行ってきた。高麗博物館とは、日本とコリアの交流史の博物館だ。NPO団体が運営している。韓流ファンのメッカ、新大久保の職安通り沿いのビルにある。

高麗とは言わずとも知れた918年に王建(太祖)が建国し、朝鮮半島を一つに統一し、1392年に滅びた国名。

 

元は三国時代のドラマ朱蒙(チュモン)で有名になった句麗(紀元前1世紀〜7世紀)の略称で、途中から自称「高麗」となり、中国や日本でも高句麗のことを高麗と呼んでいた。高句麗はその南方に新羅百済と接し、北は中国東北地方(現満州南部)までを含む史上最大の領土を誇っていた。それ故に世界的にも名を轟かせ、KOREAという英語名naibuの元になった。


高句麗は最大の面積で繁栄したことで、高麗は(新羅の統一とは違い)外勢の力を借りずに国を統一したことで、朝鮮半島の歴史上、燦然と輝く最重要国家と見られている。

高麗博物館は面積は小さいながら朝鮮半島の古くは古朝鮮時代から現代までの2000年以上に及ぶ悠久な歴史の中での日本と朝鮮半島間での交流を辿ってみることが出来る博物館だ。時期ごとに特集展示が行われている。

高麗博物館の目的

1.高麗博物館は、日本とコリア(韓国・朝鮮)の間の長い豊かな交流の歴史を、見える形であらわし、相互の歴史・文化を学び、理解して、友好を深めることを目指す。

2.高麗博物館は、秀吉の2度の侵略と近代の植民地支配の罪責を反省し、歴史の事実に真向かい、日本とコリアの和解を目指す。

3.高麗博物館は、在日韓国朝鮮人の生活と権利の確立を願いながら、在日韓国朝鮮人の
固有の歴史と文化を伝え、民族差別のない共生社会の実現を目指す。
元々は1990年に東京都稲城市の市民がこのような博物館を作るための運動を始め、2001年12月に開設された。そう、来年で丁度10周年だ。


僕が行ったときは「失われた朝鮮文化遺産」という特集展示がされていた。

広さは博物館にしては小さかったが、展示の内容はそれなりに楽しめた。

bunkazai
朝鮮が日本の植民地になった後、伊藤博文初代首相が天皇へ贈るために多数の朝鮮の文化財を奪った(持ち主から二束三文で買い取った)のを始めに、数多くの日本人が盗掘して日本に持ち帰ったという。中には元来どこの物だったかも不明になってしまったものまであるというから何とも腹立たしい。


特集の内容は小規模ながら充実しており、一冊の本にまとめられて1300円で販売されている。

tsuushinshi特集以外にも朝鮮通信使の様子を忠実に再現した精巧なミニチュア・フィギュアが常時展示されており、これは一見の価値がある。


ここもやはり韓流ブームの影響を受け、民族衣装のチマチョゴリの試着体験も実施しており、そのために来館する人も少なくないようだ。僕がいる間にも千葉から試着しに来た中高年女性らがいた。


ちなみに入館料は300円。(特別展示がある日は400円)チマチョゴリはクリーニング料の名目で200円払えば試着できる。

12月2日からは朝鮮陶磁に関する展示、来年に入ると在日コリアンが発展させてきた食文化についての特集がある。とても興味深い。稲城市に6年ほど住んでいる自分がこのことを知らなかったことが恥ずかしい。

chogori日本人が在日コリアンと力を合わせてこのような素晴らしい博物館を運営しているのを知って力が沸いてきた。できる限り高麗博物館の発展に寄与したいものだ。

興味ある人は、ぜひ足を運んで欲しい。月曜日と火曜日がが休館日。

今回は自分のブログで紹介することを理由に写真撮影を申し込んで、許可を得て携帯電話のカメラで写真を撮らせていただいた。


高麗博物館のホームページ



paul83 at 08:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 11, 2009

チャン・ユファのライヴ@NOMAD in 代官山5

今日は渋谷まで出かけて、代官山のNOMADというライヴハウスへ行ってきた。前回紹介したチャン・ユファのライヴを見るためだ。

この日は5組ほどのバンドが順番に演奏する。その3番目が彼女。早めに行って、その前のバンドのライヴから観覧することにした。

僕が会場に着いたとき、たまたま彼女がロビーに出ていて出迎えてくれた。こんなに簡単に会えるとは思っていなかったので、少し面食らったが、激励できたのでよかった。

前のバンドの演奏中に会場へ入ったが、そこは30人ほどの座席がある小さなホール、それでも空席が目立っていた。

チャン・ユファ@NOMADそのグループの演奏が終わると、次々と観客が入ってきて、席は全部埋まり、立ち見客まで出てしまった!チャン・ユファは結構人気あるんだなあ、と感心してしまった。

彼女のライブはまずディズニーのアニメ、「リトル・マーメイド」をモチーフにし、挿入曲の "Under the Sea"のサウンドに演奏を合わせ、いきなり英語のセリフを「エア」(口パクシンクロ)して、驚かせてくれた。

彼女のライブ、オープニングは毎回このように色々楽しませてくれるようだ。

今日演奏したのは以下の曲。4.の民謡メドレー以外は自作曲。

1. Live Your Dream
2. I Know ~ 気付いたこと
3. 君色(きみいろ)
4.
民謡メドレー独奏(Instrumental)
5. 君がいるから〜Because You Are Here
6. We Will Meet Again〜また出会える君へ
7. You Can Do It

1,2は一ヶ月前くらいに完成したという新曲。3.はラブソング。

4.は韓国・朝鮮の民謡をメドレーにしたもの。本人曰く、3曲をミックス、いいとこ取りということらしい。さすがにカヤグムのプロだけあって、演奏はしっかりしているのが分かった。

6.は病気に負けずに頑張った、友人のお母さんのことを歌った曲。

タイトルは英語が多いが、歌詞は日本語で、英語はほとんど出てこない。

チャン・ユファの声は澄んで清らか、癒しの雰囲気を漂わせている。歌い方は基本に忠実だが、時折沖縄民謡のような節回しが表れた。彼女の声を聞いているとメロディと相まって、なんだかほのぼのした気持ちになれる。その歌詞はとても前向きで、一緒に歌えば元気が出てくる。カヤグムの演奏はもちろんピッキングで、アメリカン・フォークの父、Pete Seegerが得意とするバンジョーの調べを彷彿させる。彼女の曲間のMCは特徴のある舌足らずな話し方で、座席に座れない立ち見のお客さんたちに気を使ったりして、優しさと思いやりを感じさせてくれる。

もう僕はファンになりました。まだCDも作れず、自己宣伝の場も限られているので、僕は微力ながら、ネット上で応援して協力して行きたい。



paul83 at 02:13|PermalinkComments(0)TrackBack(4)

May 01, 2007

ドキュメンタリー映画「ウリハッキョ」IN ソウル5

myongdong_cqn韓国のソウルでウリハッキョという映画を見た。韓国人の映画監督キム・ミョンジュン氏が北海道の朝鮮学校を3年間取材して作ったドキュメンタリー映画だ。

舞台は北海道朝鮮初中高級学校

北海道朝鮮初中高級学校は、日本学校で言えば小学校から高校までの一貫教育を実施しているのと同じである。小学一年生で入学すると、12年間同じクラスで勉強して卒業していくのだ。北海道には一つしかない朝鮮学校であるこの学校には北海道全域から生徒が集まってくるので、遠くの生徒のために寄宿舎がある。多くの生徒たちは小一のときから親元を離れ、寄宿舎でクラスメートたちと生活するのだ。この映画では生徒たちの学校生活とインタビューを中心に3年間のいくつかのエピソードが盛り込まれた。

urihakkyoposter朝鮮学校唯一の日本人教師

前半のクライマックスは日本人のサッカー監督、藤代先生についてだった。藤代先生は、朝鮮学校のサッカー部指導教師との交流を通して朝鮮学校を指導することになった。藤代先生の立派なところは、朝鮮学校の生徒を教えるには朝鮮語で話すべきだという信念を持ち、朝鮮語をマスターしようと努力し、映画中のインタビューでは日本語交じりの在日と同じような朝鮮語で話していた。後には正式に体育の教員になったのだ。朝鮮学校唯一の正式な日本人教師となったのだ

映画の中では、地方予選を勝ち進み、あと一歩のところで敗れてしまった試合後の監督と生徒たちの悔しさがよく現れていて、とても感動的だった。

urihakkyoposter2高級部卒業生の朝鮮への修学旅行

後半のクライマックスは卒業生たちの朝鮮への修学旅行。朝鮮学校の高級部(高校に相当)3年生は修学旅行で朝鮮を訪問する。今は入港できなくなってしまったマンギョンボン92号で訪問するのだ。

このときはマンギョンボン号で訪問できたのだが、「拉致被害者を救う会」の人々が船の前で大々的な反朝鮮抗議運動を展開していて、周囲は警察による厳戒態勢が敷かれていた。生徒たちはこのような波止場にマイクロバスで入り乗船することになるのだが、韓国人であるキム・ミョンジュン監督は入場を自粛せざるをえなかった。

これは生徒たちが乗船する姿を撮影できないということだ。しかし、監督は遠くから船が見えるところを探して、望遠レンズで船上の生徒たちを撮るのである。もう生徒たちの家族同然になった監督を見つけた船首のあたりに集まった生徒たちがみんなで一斉にポーズを取ったり、手を振ったり。とても良いシーンであった。しかし、監督は2年以上同じ民族として何の壁も感じずに親しくなった朝鮮学校の人たちとの分断の壁を初めて感じたのだと云う。

しかし、この監督には抜かりが無く、生徒の一人にビデオカメラを持たせたのだ。その生徒が責任持って祖国訪問の様子を撮影して帰ってくる。当然その様子も映画に出てくる。韓国中の映画館で朝鮮学校の生徒たちが朝鮮で観光を楽しむ姿が映されているのだ。なんと素晴らしいことだろう。

一生を教育に賭したお母さん先生

朝鮮学校はほとんど同胞たちの寄付によって運営されている。(朝鮮学校への寄付は法的に寄付と認められていないので、免税対象とならない)従って、教員たちの収入もそんなに多くない。なので女性の教師は結婚すると止めざるを得ない。そんな中で、結婚後もずっと教師を続けてきたベテラン教師がいた。その先生は、今回の主役生徒たちが高3の時にガンを患っていることが判明した。そのことは誰にも知らせずに、授業を責任を持って遂行する。生徒たちの卒業式が終わるとすぐに病院に運ばれたのだ。そしてしばらくの闘病生活の末に亡くなられてしまう。この先生は正に民族教育に我が身を捧げた、英雄的な教師だったと思う。ご冥福をお祈りします。

学校講堂での結婚式

北海道の朝鮮学校は半分以上の生徒たちとほとんどの教師たちが朝早くから夜遅くまで共に生活する、小さな世界だと言える。この学校の先生方は休むひまも無く働いているので、遊んだり、結婚相手を探したりするのも限られる。

この映画の中でも、教師同士の結婚式が出てくるのだが、結婚式は学校の講堂で執り行われた。朝鮮人は普通結婚式と披露宴を同時に行なう。幸せな主人公たちは同僚教師と生徒たち、それに同胞たちによる手作りの結婚式を行なった。僕の両親も昔、父の職場であった朝鮮学校の講堂で結婚式を行なったのだが、21世紀の現在もこのような結婚式が行なわれているのには驚いた。

こんなに感動的なドキュメンタリー映画は初めて見たような気がする。実は、僕も3月まで2年間、ある民族学校で働いていて、4月に辞めたばかりだった。そんな僕が韓国へ来てこの映画を見ることになったのは、何か運命的なものを感じた。この映画はまだ日本では公開されていない。何箇所かで上映会が行われたくらいだ。大阪の朝鮮学校で上映会があり、キム・ミョンジュン監督が挨拶されたそうだが東京ではまだのようで、近々千葉で上映会があると聞いた。

この映画、在日同胞が見ると必ず感動する。しかし、日本国民が見たらどうなのだろう?ぜひ多くの善良な日本人の皆様に素直な気持ちでご覧戴きたいと思う。



paul83 at 01:31|PermalinkComments(4)TrackBack(1)