March 10, 2005

父の65年ぶりの同窓会

木曜日はほぼ丸一日、父に付き添った。

以前からお願いされていたのだが、江戸川区の新小岩で父の小学校の同窓会があり、そこに一緒に参加することになった。

3月10日は東京大空襲の日であり、同じくその日に犠牲になった、多くの旧友たちの命日でもあったのだ。父はこの日のためにエッセーを書いた。「ああ、3月10日!」というタイトルで、大空襲当日の様子を表現していた。これは、父のブログに現在トップ位置に掲載されている。

この同窓会はとても画期的だった。なぜならば、父は自分の小学校の同級生はひとり残らずすでに亡くなったと思っていたからだ。昨年、その学校の校長先生と会い、まだ元気な同級生が残っていると知り、今回の同窓会参加となった。なんと、64年ぶりの再会だそうだ。

父はもう年齢がもうすぐ77歳になる。最近はほとんど家の中にこもりっきりで、執筆活動や、趣味を楽しんでいるので、足腰が弱ってしまって、ひとりで遠出するのはとても大変なことだ。バスと電車で片道合計2時間の道のりだ。ということで、僕が付き添うことになった。

待ち合わせ時間より少し早めに新小岩駅に着くと、もう何人かの父の同級生が集まっていて、劇的な再会が僕の目の前で繰り広げられた。

皆さん、僕の親父より10歳は若く見えた。余裕でひとりで活動しているようだ。付き添いの息子を連れてきたのは他には誰もいない。じつは、付き添いでくる息子さんや娘さんたちと知り合うのを内心楽しみにしていた僕は少々がっかりだった。

食事は高級そうな、豆乳しゃぶしゃぶのフルコース。

話の中心はやはり東京大空襲だった。父が自作のエッセーを皆に原稿を配った上で読み上げたのだ。
東京大空襲SHOGAKUKAN DVD MAGAZINE d historyバーチャル空撮で50年前の“焦土”を再現!東京

空襲のあとに家に帰ると、屋根に穴が空いて、ふとんの上に不発弾が乗っていたという話もあった。大空襲に先駆けて、おとりの飛行機を飛ばし、皆が安心したところへ戦闘機の大群が現れて本格的なじゅうたん爆撃が始まったという話も興味深かった。

当時の日本軍の戦闘機はゼロ戦で、スピードもサイズもはるかに劣る上に上昇できる高度があまり高くないので、米軍のB25がそのゼロ戦を上から狙って爆弾を落としたという。空襲はそれから始まったそうだ。

父は、自分で言っていた、「俺が子供の頃は、クラスでガキ大将だったんだ。とても体が大きくて、五人抜き相撲で何度も優勝したんだ」なんて、自慢げに。実際に同級生の話を聞いてみると、やはりそれは本当だったらしい。僕の小学生時代とは大違いだ。

父の同級生の皆さんは、とても気さくで、本当に仲が良かったのだろうという印象を受けた。その中のひとりの女性の息子が50代で、母親よりも先に天国へ行ってしまったという知らせに皆が涙し、一分間の黙祷を捧げた。生んでくれた親より先に亡くなることは、本当に悲しいことだ。最近は小さな子供たちが相次いで命を奪われているが、その両親の大きな悲しみに僕の心は及んでしまった。

“一つの殺人は悪漢を生み、100万の殺人は英雄を生む”、とチャップリンが映画「殺人狂時代
」で訴えていたが、殺人が絶対に悪ならば、戦争も絶対悪いことであろう。

僕にとっては片道3時間の旅での3時間の宴会であったが、思うことは多い一日だった。

paul83 at 23:42│Comments(0)TrackBack(0)日記 

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